劇中車だけでなくモータースポーツの世界でも活躍
4代目
1985年8月に登場した4代目モデルからはプラットホームを一新し、前輪駆動レイアウトとなり、先代まで存在していた2ドアクーペを国内では廃止し、3ドアのみのボディラインアップとなった。
デザインもキャッチコピーに「流面形」と称されたように、流動感のある滑らかなものとなり、先代後期で好評だったリトラクタブルヘッドライトが継続採用された。
エンジンも当然横置きレイアウトとなり、先代に存在していたターボモデルは姿を消し、1.6リッター、1.8リッター、2リッターというラインアップとなっている。
ただ1986年10月には先代のGT-T系の実質的な後継車種となる、「GT-FOUR」が追加される。このGT-FOURは2リッターツインカムターボエンジンにフルタイム4WDを組み合わせたもので、GT-TSと同じくラリーを筆頭とするモータースポーツベース車としても活躍したが、映画「私をスキーに連れてって」の劇用車に採用されたことで、スキーエクスプレスとしても高い人気を誇った。
また、先代では限定モデルとして少量販売がなされたコンバーチブルが1987年10月にラインアップに追加されている。
5代目
1989年9月にリリースされた5代目セリカは、先代の雰囲気を踏襲しつつもニューエアロフォルムと名付けられた有機的なフォルムを纏って登場。ラリーベースのGT-FOURも登場と同時に設定されている。
基本的なメカニズムは先代を踏襲するが、搭載されるエンジンはすべて2リッターとなり、SOHC、DOHC、DOHCターボと異なる仕様で差別化が図られた。
モータースポーツベース車としては快適装備を省き、クロスミッションを最初から搭載した「GT-FOURラリー」が存在していたが、1991年9月にはWRCのグループA用のホモロゲーションモデルとして「GT-FOUR RC」が登場し、日本では1800台が限定販売されたほか、コンバーチブルモデルも1990年8月に追加された。
6代目
それまで標準車は5ナンバーサイズを死守してきたセリカだったが、1993年10月に登場した6代目モデルでは通常モデルを含む全車で3ナンバーサイズのボディを採用。ただ、新設計となったシャシーは軽量高剛性となっており、先代モデルよりも軽量化も実現していた。
デザインはグラマラスな丸みを帯びたものとなり、長らく採用され続けてきたリトラクタブルヘッドライトを廃止し、個性的な丸形4灯ヘッドライトを新たに採用している。
あまりに個性的なフロントマスクとなったこともあって、1994年1月には輸出仕様のセリカクーペ(2ドア)のボディにおとなしめなフロントマスクを組み合わせた兄弟車の「カレン」も用意された。
ホットモデルのGT-FOURはやや遅れて1994年2月に登場し、ホモロゲーションモデルのWRC仕様車も同時に2100台限定でリリースされている。
そして、もうひとつの定番車のコンバーチブルは1994年9月に登場。引き続きソフトトップモデルではあったが、幌の開閉が油圧式から電動式に変更されたのがトピックだった。
7代目
1999年9月にフルモデルチェンジを果たした7代目セリカは、ライトウエイトスポーツのカローラレビン/スプリンタートレノを内包するモデルとなり、ボディサイズもひとまわりコンパクトとなり、エンジンも2リッターから1.8リッターへとダウンサイジングがなされた。
それに伴って先代まで存在していた4WDターボのGT-FOURもラインアップされず、一部からは残念がる声も上がっていたが、ホットグレードのSS-IIでは1.8リッターながら190馬力を発生する2ZZ-GE型エンジンと、6速MTの組み合わせで、FFライトウェイトスポーツとしては高い性能を有しており、TRDがチューニングを手掛けた「TRD スポーツM」というモデルも設定されていたのだ。
このようにスペシャリティカーかつラリーマシンとしても活躍した歴代セリカ。新型はスペシャリティーカー寄りになるのか、ラリーマシン寄りになるのかは気になるところだが、ラリージャパンの会場で明言されたことを考えると後者の可能性も高そうだ。
ただその一方で、MR-S終売以来途絶えているトヨタの普通車クラスのオープンカー復活というのも期待したいところである。