公共交通機関が犯罪の温床となっているアメリカ
日本では新たなバス路線や、鉄道の開業は多くの市民から喜びとともに歓迎されるが、アメリカでは利便性向上に反対する声のほうが目立つことが多いようだ。
日本でも多くのひとが知っている高級住宅地がビバリーヒルズ。そこに住む富豪ならば、超高級車で移動すれば済むのだが、それら富豪の住む「お屋敷」には多くの使用人が通勤してきて働いている。そのような使用人のひとたちは経済的に豊かとはいえず、お屋敷までバスを乗り継いで日々通ってきていることも多いようである。あるとき、ビバリーヒルズまで地下鉄を通そうという話がもち上がったそうだ。そのとき、近隣住民も含め建設に対する反対運動が起こった。「それほど豊かではない地域からのアクセスをよくすれば、それだけ犯罪者も近寄りやすくなる」というのが反対派のロジックだったそうだ。
このような考え方は、ビバリーヒルズほどのハイクラス地域ではなくとも、いまは少ないといわれているが、中産階級以上の治安の落ち着いている居住地域でも「公共交通のアクセス改善は不要」というスタンスが一般的となっているとも聞いている。
日本も最近は手放しで安全だとはいい切れなくなっているが、少なくとも地下鉄のホームの真ん中あたりが白線で囲まれ、「午後9時過ぎたら白線内のセーフティゾーン以外で地下鉄を待つのは危険」とか(ニューヨークのケース)、路線バスに乗ったら「半分から後ろの席は危険だから座ってはいけない」など、過度に危険回避を意識しなくとも、誰でも気軽に利用できるというイメージを公共交通機関に対してアメリカでは抱かれないのが一般的となっているようである。
納税者側からすれば、自己防衛のために自家用車で移動しているのに、そんな市民から新たな税金(渋滞税)を取り、地下鉄や路線バスの利便性を向上させることは、納税者の日常生活における不安を増大させることにもなりナンセンスと思うひとが多くいるのである。
日本を観光で訪れる外国人(とくに欧米系)の多くが日本の公共交通機関の現状(安全で深夜でも平気で利用できる)ことに驚いているという話を聞く。先日ニューヨークの地下鉄車内で居眠りをしていたとみられる女性に乗り合わせていた男性容疑者が火をつけ女性が焼死するという痛ましい事件が起きている。我々が少なくとも生命の危険を感じずに日々鉄道やバスを利用していることは、世界的にはレアなことであるのは間違いない。
鉄道やバス車内でよく寝てしまう筆者としては、いつまでも鉄道やバスなどの公共交通機関が多くの市民に利用され、そして愛され続ける安全なものとして維持されることを願うばかりである。