この記事をまとめると
■「童夢」は長年にわたってレーシングカーのコンストラクターとして活躍している
■1978年のジュネーブショーにはスポーツカーの「童夢-零」を発表した
■「童夢-零」以後もグループCカーやフォーミュラカーでモータースポーツシーンを牽引
日本を代表するレーシングカーコンストラクターのひとつ
F1、WEC、WRCと3つの世界選手権が開催されるほか、スーパーGTやスーパーフォーミュラなど日本発のカテゴリーが発展を遂げるなど、日本のモータースポーツシーンは独自に進化している。それに合わせ、日本でモータースポーツ活動を担う各チームは、コンストラクターとしての技術力も高く、オリジナルのレーシングカーがさまざまな競技で活躍しているが、1978年に設立された「童夢」もそんなコンストラクターのひとつ。創設以来、ロードゴーイングのスポーツカーやレースシーンで活躍している。
童夢が初めて手がけたオリジナルマシンが1978年の第48回ジュネーブ国際自動車ショーにて公開されたロードゴーイングのスポーツカー「童夢-零」だった。
同モデルはFRP製のセミモノコックボディに2800ccの直列6気筒エンジンを搭載。残念ながら国内外ともに認可を取得することはなく、市販化を果たせなかったが、国産スーパーカーとして世界に衝撃を与える一台となった。
また、同年にはハヤシレーシングの依頼により、入門用フォーミュラカテゴリーのFJやミドルフォーミュラのF3マシン開発を行なったほか、1979年にはプロトタイプスポーツカー「童夢-零RL」を開発して、同年のル・マン24時間レースにチャレンジしている。
その後も1980年の「童夢RL-80」、1981年の「童夢RL-81」でル・マン24時間に参戦したほか、1982年には国産初のグループCカー「トムスセリカC」を開発するなど、童夢はレーシングカーのコンストラクターとして活躍した。
その後も童夢のチャレンジは続いた。1983年に「トムス83C」、1984年に「童夢84C」、1986年に「童夢86C」、1987年に「童夢87C」を開発し、国内の耐久レースのほか、ル・マン24時間レースにも参戦している。