今後も日本のモータースポーツシーンを牽引する存在
1988年には「トヨタ88C-V」の設計を手がけたほか、同年からはオリジナルF3000マシンの開発を手がけるようになり、1991年の「童夢F102」を皮切りに、1995年まで童夢製のフォーミュラマシンが全日本F3000選手権に参戦した。
さらに、フォーミュラにおける最大のトピックスとなったのが、1996年に無限のV10エンジンを搭載したF1マシン「童夢F105」を開発したことだろう。当時、筆者はモータースポーツ専門誌の編集部員として同モデルを取材したが、衝撃的なマシンで海外からも注目を集めていた。
その後も童夢は1998年にSRS-F(鈴鹿レーシングスクール・フォーミュラ)の教習用マシンを開発するなど、コンストラクターとしてさまざまなカテゴリーにチャレンジ。
2001年にはプロトタイプカー「童夢S101」を手がけ、ル・マン24時間レースに復帰すると、2005年には「童夢S101-HB」、2008年には「童夢S102」でル・マン24時間レースに参戦した。
一方、フォーミュラに目を向けると2003年の「童夢F106」を皮切りに、数台のF3マシンの開発を手がけたほか、2010年にはZAP SPEEDの手がけたF4マシン「ZAP F108」のデザインを担当している。
さらに2015年にはFIA-F4規定モデルの「童夢F110」、2019年にはフォーミュラ・リージョナル・ジャパニーズ・チャンピオンシップ用マシン「F111/3」の開発を担うなど、入門〜ミドルカテゴリーのフォーミュラカー開発にも積極的にチャレンジした。
もちろん、スーパーGTに関しても、自社チームでGT500クラスに参戦するほか、ホンダNSXのシャシー設計にも関与している。さらに、GT300クラスに採用されているマザーシャシーの開発を手がけるなど、日本で最大級の人気を誇るレースにも携わっていたことは記憶に新しい。
また、ロードゴーイングモデルに目を向けると、1989年にワコールと共同でスポーツカーの「ジオット・キャスピタ」を開発したほか、1993年には電気自動車「ピボット」の車体を開発するなど、その実績は多岐に渡る。
コンストラクターの童夢は、設計・解析はもちろんのこと、カーボンファイバーの製造においても優れた技術を持っており、さらに50%スケールのムービングベルト付き風洞設備を持つことから、より効率的な空力開発を実施可能だ。それゆえに、童夢の手がけるレーシングマシンは抜群のパフォーマンスを発揮している。
まさに童夢はコンストラクターとして高い技術力と輝かしい実績を持つだけに、今後も日本のモータースポーツシーンを代表するフロントランナーとして注目したい。