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カストロールカラーのGRヤリスRally2が日本に上陸! ラリー界を席巻した「カストロール×トヨタ」伝説を振り返る (1/2ページ)

カストロールカラーのGRヤリスRally2が日本に上陸! ラリー界を席巻した「カストロール×トヨタ」伝説を振り返る

この記事をまとめると

■オイルブランドのカストロールはかつてトヨタのワークスをサポートしていた

■WRCではカストロールカラーをまとったセリカやカローラが大活躍

■「カストロールMEMトヨタ・チーム」のGRヤリスRally2が日本に上陸した

WRCで大活躍したカストロールカラー

 1899年にイギリスで誕生したオイルブランド「カストロール」は、古くからモータースポーツシーンで積極的な活動を展開。創設125周年を迎えた2024年もF1、フォーミュラE、MotoGPなど、トップカテゴリーに挑むチームをサポートしていたが、カストロールのモータースポーツ活動としてもっとも多くのファンの印象に残っているのがWRCではないだろうか?

 カストロールはラリー競技においても積極的な活動を展開しており、1990年代のグループA時代にはトヨタのワークスチームをサポート。なかでも、1993年からはトヨタ・カストロール・チームとして活動しており、カストロール・カラーのトヨタ・セリカGT-FOUR(ST185)で猛威を発揮していた。

 1993年にユハ・カンクネン選手が5勝をマークして、自身4度目のドライバーチャンピオンに輝いたほか、チームメイトのディディエ・オリオール選手が2勝をマークしたことでトヨタが初めてマニュファクチャラー部門でタイトルを獲得。さらに翌1994年には3勝をマークしたオリオール選手がドライバー部門でチャンピオンを獲得したほか、カンクネン選手も1勝をマークしたことで、トヨタがマニュファクチャラー部門で2連覇を達成している。

 その後、トヨタは技術規定違反で1995年のポイントを剥奪されたほか、1996年の出場が禁止となったが、その勢いは衰えることはなかった。1997年のWRCはグループAに変わる新たな車両規定としてWRカー規定を導入しており、トヨタ陣営はカローラをベースにした「カローラWRC」を開発。シーズン後半よりカストロール・カラーのマシンでWRCへ復帰した。

 カストロール・カラーを身に纏うカローラは再びWRCで猛威を発揮しており、1998年にカルロス・サインツがタイトル争いを展開したほか、WRCのラストイヤーとなった1999年にはトヨタがマニュファクチャラーズ部門で3度目のチャンピオンに輝くなど、「トヨタ・カストロール・チーム」はWRCで大躍進したのだった。

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