レースじゃまずまず活躍したけど日本じゃマイナー! アメリカのスポーツカーメーカー「パノス」を知ってるか? (2/2ページ)

25年以上前のル・マンにハイブリッドマシンを投入

 だが、翌1998年のル・マンでは、パノスからはさまざまなトピックスが世界に発信されることになった。ひとつは総合7位という成績で決勝レースを終えたこと。そしてもうひとつは、ガソリンエンジンに加えてエレクトリックモーターを使用するハイブリッドモデルの「Q9」をエントリーしたことだった。

 現在でこそル・マンやIMSAのトップカテゴリーはハイブリッドモデルも珍しくないが、この時代にそのシステムを採用してきたパノスには、技術的な先進性とチャレンジングな精神があったといえるだろう。

 エスペランテGT1によるパノスのル・マン24時間参戦は1998年をもって終了するが、その後も彼らはLMPカーの「LMP1ロードスター」で、同レースへの挑戦を続けていく。

 そして、我々にとって久々にパノスの名前がビッグニュースとして伝わったのは、すでにこのころアメリカでIMSAのオーナーとなっていたドナルド・パノス、そして2010年までLMP1を「アキュラARX-02」で戦っていたハイクロフト・レーシングの共同プロジェクトとして、「プロジェクト56」が立ち上がったときだった。

 プロジェクト56は、ル・マン24時間レースの主催者であるフランス西部自動車クラブが新技術をアピールするために新たな出場枠(56番目のガレージを使用する)を利用し、レースへの参加を目指すというもので、2012年には日産自動車がこのプロジェクトに参加。「ニッサン・デルタ・ウイング」のエントラント名で2012年のル・マン24時間レースから2016年まで、いくつかのレースに参戦した。

 まさにアメリカの象徴ともいえるスポーツカーメーカーのパノス。彼らの名前はモータースポーツとともに、アメリカのなかで徐々に浸透していったのである。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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