ギアでの生産終了後もほかのカロッツェリアがレプリカを製作
ジョリーのスタイリングは、御覧のとおり。屋根を取っ払い、ドアも外し、フロントピラーを途中でカットしてウインドウスクリーンも低くし、おそらくは剛性低下を少しでも抑えるための鋼管によるクロームのパイピングと、それと同素材の前後バンパーを備え付けたチンクエチェント、だ。
濡れた水着のまま乗り込んでもまったく問題がないように、シートには布の代わりに籐が編み込まれている。当然ながらソフトトップのようなものも持ちあわせておらず、代わりにボルト留めの支柱にテントを張った簡素な日よけを取り付けることができた。もちろんメカニズムはカタログモデルのチンクエチェントと何ひとつ変わらない。
アリストテレス・オナシス、ユル・ブリンナー、エンリコ・ベルリンゲール、マリオ・ベリーノ、シルヴィオ・ベルルスコーニ、ジョン・ウェイン、メイ・ウエスト、グレース・ケリーことモナコ公妃グレース・パトリシア……。そうした顧客を筆頭に、のちに作られる600やムルティプラをベースにしたビーチカーと合わせて、およそ700台ほどが製造されたという。
カロッツェリア・ギアは1966年にジョリーの生産を終了させているが、その後もほかのカロッツェリアでレプリカが作られ、驚くべきことに現在でもオーダーがあれば本家本元のジョリーとほぼ変わらないクルマを作ってくれるところが存在している。1年に走らせるのは合計何時間? というようなクルマだというのに。
まぁそんなふうに稼動時間を考えちゃうあたりが絶対に真のセレブリティになれない男であることを証明してるようなものだけど、そんな僕でもこのケータハム・セヴン並みの開放感がある500ジョリーが、真夏の海岸沿いで、空気の美味しい高原で、のんびり走らせたら最高に気もちいいクルマであろうことはわかる。
この季節のなかでこのクルマのことを思い浮かべちゃったのだから、僕は超ひさしぶりに味わうアホみたいに寒い零下の朝という日常に、かなり本気で困惑してるのだろう。これが加齢というものか……。
ちなみにこの500ジョリーの当時モノは日本にも存在していて、名古屋の“チンクエチェント博物館”を訪ねればしっかりと見ることができる。
そのほかにも貴重なモデルが展示されているのでぜひ足を運ぶことをオススメしておくが、基本は予約制なので御注意を。