A. それはもう大変でした。(右ハンドルの運転席から見る)これまでと同じ道なのに風景が全然違って見えました。左側にあるバス停につけるのも思ったより大変だったし、多分みなさん苦労したと思います。現在も730バスが運行している191番の路線もいまよりもずっと狭かったし、バス停や電柱にサイドミラーを接触することもありました。この時期に沖縄ではバスの横転事故もあったと記憶していますが、東陽バスは幸い大きな事故がありませんでした。
A. いくらこちらが気をつけても慣れない一般ドライバーの逆走はあったので、とくにカーブなどでは細心の注意を払いながら運転しました。家に帰ったとき、「今日も1日無事だった」とホッとしたものです。右折は少々戸惑いましたが、左折にはさほど苦労した感覚はありません。
Q. 当時のことで印象的だったことがあれば教えてください。
A. あの頃の沖縄の道はさまざまな場面で警察が先導するシーンがありましたが、じつはパトカーを運転していたのは本土の警察官で沖縄の警察官は助手席に乗っていました。沖縄の警察官だって慣れていませんでしたから。
(写真提供=那覇市歴史博物館)
Q. 現在も運行している730バスについて教えてください。
A. 現在運行している1台にはこの営業所(馬天営業所)に最後まで残っていた4~5台のなかから状態のいいパーツを組み合わせて1台を残しました。基本、週に1日2便の運行ですからバッテリーが上がってしまうことがありますが、それ以外はいたって好調です。730以前に運行していたバスと比べて車体もがっちりしているし、島独特の塩害にも強いと感じます。