かつて日本において沖縄だけが「右側通行」だった! 左側通行へと変わった46年前を知る「2台の現役バス」の姿

この記事をまとめると

■日本の道路交通法唯一の例外として戦後の沖縄では右側通行が採用されていた時代がある

■1978年7月30日に左側通行に戻り「730」として記念の日とされている

■当時導入されたバス2台はなんと現在も現役で運行中

かつて沖縄の道路は右側通行だった

 日本では道路交通法(道交法)によってクルマは左側を通行すると定められていています。欧米の多くの国が採用する右側通行とは逆のスタイルは、わが国に自動車が登場するずっと前、馬車や人力車が行き交う明治時代から続いているそうです。道交法の施行は昭和時代ですから、じつは法律のできるずっと前から日本では左側通行だったのです。

 そんな長きに渡り引き継がれてきた通行区分にもたった1回の例外があります。それが大戦後にアメリカ合衆国に統治されていた時代の沖縄県の道路です。しかも、27年近く続いた統治が終わり返還されてもなお約6年間も右側通行時代は続き、1978年7月30日にやっと本土と同じ形となりました。この記念すべき日が「730(ナナサンマル)」と呼ばれています。

右側通行時代の沖縄写真提供=那覇市歴史博物館

 ひとくちに本土と同じにするといっても、通行区分をひっくり返すのは想像を絶する大事業です。信号、標識、なかには道路の線形まで変更したところもあるとか。乗用車も左側通行用の配光特性のヘッドライトに変更したりとかなり大変だったそうです。

 バスにいたっては片側にしか乗降口がないので一部改造を行った車体もあるものの、大多数のバスが730を期に左側に乗降口のある右ハンドルの新車に切り替わりました。46年たったいま、沖縄を訪ねてみても730以前の痕跡を見つけるのは容易ではありませんが、なんとそのときに導入された1000台以上の新車のうち2台が現役で運行しています。

※右が現行の標識、左が変更前:沖縄県立博物館・美術館の所蔵品

 1台は東陽バスが所有する日野RE101型。現行ブルーリボンのご先祖様といったところでしょうか。現代のバスと比べると丸みを帯びた日野車体製のモノコックボディの外板にリベットが並んでいる姿もどこか昭和の風情を醸しだしています。令和となった現在も、日曜・祭日に191番・城間(ぐすくま)線で1日2便運行されています。

 もう1台は沖縄バスが所有する三菱MP117K。現在の三菱ふそうエアロスターのご先祖さまで呉羽車輌のボディです。当然ながら日野RE101型と同時期のモデルですので、モノコックボディ特有の雰囲気は似ていて、それだけにディテールの違いが楽しくもあります。

 こちらは決まった路線を運行しているわけではないので、もし見かけたらとてもラッキーな1台です。

 どちらも初年度登録年月は昭和53年7月です。日本の交通の歴史においても貴重なこの2台の路線バスは、現在「730バス」の愛称で呼ばれています。

 ちなみに周到な準備をして臨んだ1978年7月30日ですが、切り替え作業のための道路封鎖は7月29日の22時から翌30日の朝6時まで。アメリカから日本までのフライトよりも短いわずか8時間で本島はもちろんすべての離島まで、沖縄県の道を切り替えてしまったことには驚かされます。一晩寝たら道路だけ別の国の方式になってしまうのですから、住民もさぞかし大変だったと思います。

 一国一交通方法を義務付けた国際条約「道路交通に関する条約」に批准しながら、返還されてもなお本土と違う交通方法をとっていた沖縄県のいびつな状態がやっと解消された記念すべき日でもあります。

 そんな時代の生き証人「730バス」。沖縄本島に行く機会があれば当時の空気を感じに乗車にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?


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