たった一夜で右から左へ通行が変わった1978年7月30日! 「あの日」のまま走り続ける「沖」ナンバーのバス

この記事をまとめると

■1978年7月30日に沖縄の交通ルールが右側通行から左側通行に変わった

■道路交通法の切替時には左側に乗降口を備えた右ハンドルのバスの新車が1000台以上投入された

■東陽バスの日野RE101型は現在も日曜・祭日には1日2便が運行されている

46年前のあの日からいまも走り続ける沖縄の「730バス」

 いまから46年前、1978年7月30日に沖縄県の交通ルールが変わり、それまでのアメリカのルールに則っていた自動車の右側通行が本土と同じ左側通行になりました。通称「730(ナナサンマル)」と呼ばれるこのルール変更のタイミングで、沖縄県では本土と同じ左側に乗降口を備えた右ハンドルのバスの新車が1000台以上投入されました。沖縄、東陽バスの日野RE101型もそのなかの1台で、なんと現在も営業運転しています。

 初度登録年月日は昭和53(1978)年7月ですから、まさに道路交通法の切り替え時に新車ホヤホヤで投入された1台です。ちなみにナンバープレートの表記が「沖」から「沖縄」に変更されてからすでに37年近く経ちますので、ここだけでもなかなか貴重です。

 ボディは日野車体製。全長10.25mで乗車定員は78名と、現行のブルーリボンシリーズと長さや乗車定員に大きな違いはありませんが、リベットが並んだモノコックボディの丸みを帯びた柔らかいフォルムとホイルベースの短さに時代を感じます。

 乗降口扉は前方に1箇所のみで、後方には行き先表示窓はありません。なお、この個体は運行当初から東陽バスの191番・城間(ぐすくま)線を走り続けているそうで、現在の南城市と浦添市を結ぶ道の変化を46年以上見続けた歴史の証人といえるでしょう。

 実際に乗客として利用した印象ではEB400型ディーゼルエンジンは非力な印象はまったく感じずとてもスムースで、今日までメンテナンスを担当してきた沖縄日野自動車の46年間にわたる仕事ぶりを感じます。ちなみに730の際、こちらからは235台のバスが納車されたそうで、現在東陽バスが運行するこの個体が最後の1台となります。

 よく手入れされた内装はシートの色遣いや質感、そして4列目以降はふたりがけのシートが後ろまで整然と並んでいるところに時代を感じます。一直線に伸びた中央の狭い通路はまるで観光バスのようです。

 また、現在のような低床タイプではないので乗降時にはステップの昇り降りがありますが、そこに懐かしさを感じる世代の人はもちろん、若い世代のなかにはそんなプロセスに昭和レトロの風情を感じる人もいるでしょう。何せホンモノ、当時モノ、ですから。

 運転席まわりのレイアウト自体はいまのバスとそれほど変わりませんが、個々のデザインや質感にクラシカルな感じがします。床からニョキっと生えたような長いシフトノブは当時のバスの象徴みたいなものでした。

 現在も運行されているバスですので当然ICカードも使えます。利用できるのは沖縄本島の独自ICカード「OKICA(オキカ)」のみとなりますが、ほかの主要な会社のバスや沖縄唯一の鉄道「ゆいレール」、タクシーなどでも使えます。

 沖縄の交通の一大転換点となった730の生き証人ともいる東陽バスの日野RE101型。現在も日曜・祭日には1日2便が運行されていて、これまで運休もほとんどなかったそうです。

 この貴重な730バス、これからも元気に走り続けてほしいものです。


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