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日本中の子どもが憧れたスーパーカーは本当に凄いクルマだった? スーパーカー大王が体感した「ロータスヨーロッパ」「ランボルギーニミウラ」の走りとは (1/2ページ)

日本中の子どもが憧れたスーパーカーは本当に凄いクルマだった? スーパーカー大王が体感した「ロータスヨーロッパ」「ランボルギーニミウラ」の走りとは

この記事をまとめると

■スーパーカーブームのなかでもロータス・ヨーロッパは特異な存在といえる

■新車同然にレストアされたロータス・ヨーロッパに乗ったことで改めてその価値を知った

■ランボルギーニ・ミウラも実際に乗ることで極めて快適なGTカーであることがわかった

子どものころに憧れたスーパーカーに乗って知った残念感

 日本におけるスーパーカーブームといえば、まず誰もが思い出すのは、1976年から1977年を中心に巻き起こった、いわゆる第一次スーパーカーブームだろう。このときにブームの中心にあったのは子どもであり、それが1980年代後半に始まった第二次スーパーカーブームや、いままさに我々がその渦中にいる第3次スーパーカーブームとは異なるところである。

 子どもの思考はシンプルであるから、当時スーパーカーとして人気があったのは、その見た目のスタイルがカッコよく、他車よりも1馬力でも高い最高出力を誇り、そして1km/hでも早い最高速を実現するモデルが、その頂点にあったのはいうまでもない。フェラーリの365GTB4BBとランボルギーニのカウンタックLP400が、その人気を牽引していたのは当然の結果といえたのだ。

 そのスーパーカーブームのなかで、特異な存在といえたのは、多くの「狼フリーク」を生み出すに至った、あのロータス・ヨーロッパだろうか。第一次スーパーカーブームは、そもそも池沢早人師氏(当時池沢さとし氏)が執筆したコミック、「サーキットの狼」を直接の理由としたブームであり、その主役である風吹裕矢が駆る最初の愛車こそが、ロータス・ヨーロッパにほかならなかったのだ。

「なぜストーリーの主役たる風吹裕矢のマシンにロータス・ヨーロッパを選んだのですか」と、筆者はかつて池沢早人師氏に質問したことがある。いささかシンプルな思考ではあるが、登場回数の多い風吹がBBやカウンタックのステアリングを握れば、よりストーリーもスーパーカーの人気も盛り上がるのではないかと思ったからだ。答えはとてもシンプルだった。「弱き者が強き者を倒すというのが、コミックのストーリーではひとつの基本だからね」。

 たしかにロータス・ヨーロッパは、サーキットの狼に登場するスーパーカーの大部分よりは弱いクルマだろう。たとえば意外に思えるかもしれないが、ヨーロッパと同じ年、1966年に誕生したランボルギーニ・ミウラは、再初期モデルの「P400」で、4リッターのV型12気筒エンジンを搭載し、その最高出力は350馬力。最高速は280km/hを記録している。

 一方のロータス・ヨーロッパのシリーズ1は、1.5リッターの直列4気筒エンジンなど、ルノー16からパワートレインを流用することによる82馬力で始まり、最終型のスペシャルでも126馬力を達成したのみだ。とはいえ軽量性や優れた空力特性の恩恵で、最高速は185km/hを記録した。

 というように、スペックだけを見れば、いわゆる1970年代の狼フリーク的な視線で見れば、主役の風吹裕矢が乗っているからこそスーパーカー的な扱いを受けていたロータス・ヨーロッパ。

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