日産ガンバレ! かつての日産は初モノづくしで「技術の日産」の看板に偽りなしだった!! (1/2ページ)

この記事をまとめると

日産自動車が初めて採用したクルマの技術がいまでも活躍している

■4WSやターボエンジンだけでなく可動式スポイラーも日産が初めて採用・実現した

■キーレスエントリーシステムのルーツとなるカードキーも日産が初めて採用した

技術といえば日産! 改めてその凄さを振り返る

 日産自動車は11月7日、2024年4〜9月期の純利益が前年同期比94%減であることを発表。これを踏まえて、世界の生産能力を20%削減し、9000人規模の人員削減に踏み切ることを明らかにした……。

 このように暗いニュースが続く日産だが、かつては「技術の日産」がキャッチコピーで、押しも押されもせぬ存在だった。そんな日産の看板だった技術をいくつか振り返ってみることにしよう。

 2023年に創立90周年を迎えた日産自動車は、「ほかのやらぬことを、やる」という精神を掲げ、1958年には、オーストラリア大陸一周ラリーにダットサン210型で出場してクラス優勝。

 このころから「技術の日産」の第一章がはじまる。

 1966年にはプリンス自動車工業と合併。中嶋飛行機の流れを汲むプリンスを合併したことで、1953年から続くロケット飛翔体の研究も継承。宇宙航空事業部を発足。科学観測や実用衛星分野での固体ロケット開発なども手がけてきた。

 並行して、産業用ロボットの開発や、CAD/CAMの技術でも日本の工業界をリードしていた。

 クルマの具体的な技術でいえば、まず防錆鋼板。強度を向上させて軽量化に役立つ高張力鋼板を積極的に取り入れ、同時に亜鉛ニッケルメッキ合金を用いた防錆性能を両立。

 のちに日産は、強度と延性を高い次元で両立させた高成形性超ハイテン材の開発にも成功。

 高強度でありながら、複雑な形状のプレスに耐えられる超ハイテン材を生み出した。これらは衝撃時のエネルギー吸収が必要なクラッシャブルゾーンの車体骨格部材として、インフィニティQX50に世界で初めて適用されて話題となった。


藤田竜太 FUJITA RYUTA

モータリングライター

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日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)
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