この記事をまとめると
■マレーシアには「プロトン」と「プロドゥア」という自動車ブランドが存在する
■「プロトン」はジーリー傘下となっており「プロドゥア」はダイハツが関わっている
■現地では「プロドゥア」のほうがシェアが高い傾向にある
マレーシアの「プロトン」と「プロドゥア」の成り立ち
東南アジアで自動車産業が盛んな国といえば、インドネシアとタイを思い浮かべる人も多いはずだ。しかし、いずれの国も世界の大手自動車メーカーの工場があり、そこで自国向けだけではなく周辺国を中心に生産した車両の輸出も行っている。自国量販ブランドをもっていないということでも共通している。
ところが、タイやインドネシアとともに「東南アジア三大自動車生産国」ともいわれるマレーシアでは、「プロトン」と「プロドゥア」というふたつの自国量販ブランドをもつところが、ほかの2国と異なっている。そしてそれらは、「自国量販」というよりは、「国民車ブランド」としてマレーシアの人に広く認知され、そして愛されている。
日本ではかつて「国民車構想」というものがあった。国が一定要件を満たす自動車の製造と販売を支援することで、国民に広く普及する大衆車を広めようというものである。ただし、その要件は厳しいものであり、その要件を限りなくクリアしたのが「スバル360」とされている(結果的に国の支援を受けるモデルはなかった)。
このような国民車構想は第二次世界大戦時のナチス政権下のドイツをはじめ、中国、インド、インドネシアでも提唱された。
マレーシアではマハティール氏が首相をつとめた1981年から2003年(第一次から第六次/2018年から2020年に第七次もあり)に日本の高度経済成長を参考にしたともされる「ルックイースト政策」を提唱する。そのなかに国民車構想というものがあり、1983年にまず自国量販ブランドとして「プロトン」が設立される。1985年に生産が始まった国民車第1号となる「サガ」は、プロトンと当時提携関係にあった三菱のランサーフィオーレ(2代目)をベースに生産が始まった。
その後、三菱以外のモデルをベースとしたモデルなども含めラインアップを増やすなど事業拡大していき、1996年にはイギリスのロータスを買収するまでとなった。そして三菱との関係は2016年まで続いたが、2017年に中国・吉利(ジーリー)汽車傘下となり、いまではモデルラインアップのほとんどがジーリーモデルがベースとなっている。