イニシャルDに魅せられて手に入れたRX-7で25年を駆け抜けた! 80歳女性オーナーが極上のFD3Sをマツダへ譲渡 (2/2ページ)

免許返納のタイミングで愛車との別れを決意

 こうしてRX-7とともにカーライフを満喫してきた西本さんだが、「78歳のときに、いつかは免許証を返さなきゃいけない……と思うようになりました。自分の人生の区切りとしては80歳がいいかな……と思って、それで80歳の誕生日に返納することを決めました」と語る。それから2年間はRX-7で各地をドライブしており、「息子と季節の花や景色を撮りにいったりと、いろんなところに出かけたことが一番の思い出です」と振り返る。

 ちなみに、西本さんのRX-7は、フロントバンパーの両サイドに埋め込まれたレイブリックの補助ランプを除けばほぼノーマルの状態で、25年間、7万7500kmを走行しても傷ひとつない状態だ。

 西本さんがRX-7に対していかに愛情を注いでいたかはクルマからも感じ取れるほどで、メンテナンスを担当してきた九州マツダ赤迫店の木本店長も、「車検・点検を任せて頂いていましたが、必要な部品はすべて交換してきましたので、状態はすごくいいと思います」と太鼓判を押す。

 免許証返納と合わせて愛車を手放すことを決意した西本さんが、RX-7を受け継いでくれる人を募集したところ、応募のメールが殺到した。

 約400通のなかから西本さんが選んだ引受先が、前述のとおりマツダだった。「RX-7を譲ってほしい……というたくさんのメールのなかでもっとも輝いていたのが、マツダの方からのメールで、“クルマのもつ力でいつまでも元気にいきいきと生きる……という物語で、多くの方々に元気を与えられる“という言葉と、メールのなかに優しさを感じられてここしかないと思いました」と、西本さんはマツダを選んだ理由を明かしてくれた。

 このことについて、マツダの広報担当者の辻本宏治氏いわく、「開発担当の役員が西本さまの話を見つけまして、こんな素晴らしい人がいて、クルマを手放そうとしているので、広報で手を挙げてみたら……とメールがありました。人気があるクルマなので無理だろうと思いながらメールを送ったら、お返事を頂きました」とのこと。

 今後、西本さんのRX-7は広島でメンテナンスが行われたのち横浜へと移動し、マツダの広報車としてイベントの展示や撮影での貸し出しなどといった用途で活用されていく予定となっている。

 譲渡式を終え、浦上警察署で運転免許証の返納手続きを終えた西本さんは、「RX-7は25年間ともにしてきた相棒で、友達のような存在ですが、手放すことに悔いはありません。本当に25年間ありがとう、という言葉を送りたいと思います」と清々しい表情を浮かべた。

 今後は楽しみのひとつだったドライブができなくなるが、西本さんはコーラスや朗読の教室など趣味が多彩であり、今後は朗読をメインにしたYouTubeの開設を予定しているだけに、愛車がなくてもアクティブな生活が続くことだろう。

 同時に西本さんは、「RX-7はマツダの広報車として活用するとうかがって、たくさんの人に見てもらえると喜んでいます」と愛車の“第二章”に期待を寄せる。

 まさに西本さんとともに25年間に渡ってさまざまなストーリーを紡いできたRX-7だが、ロータリーエンジンを武器に一世を風靡したこのマツダの名車は、西本さんの思いを抱きながら、新しいストーリーを描いていくに違いない。


廣本 泉 HIROMOTO IZUMI

JMS(日本モータースポーツ記者会)会員

愛車
スバル・フォレスター
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登山
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