この記事をまとめると
■25年間RX-7に乗り続けた御年80歳のオーナー・西本尚子さんがマツダへ車両を譲渡
■マツダの関係者も駆けつけた譲渡セレモニーにて西本さんが思いを語った
■西本さんのRX-7はマツダの広報車となって余生を送る予定となっている
西本さん80歳の誕生日に行われた譲渡セレモニー
読者諸兄のなかには、長年乗り続けてきた愛車を手放した経験をもつ人もいることだろう。事情はさまざまだが、大切に乗り続けてきた相棒と別れるときには、これまでの感謝や思い出など万感の気持ちに溢れるものである。長崎県にお住まいの西本尚子さんも、そんな気もちを抱きながら愛車との別れを決断したひとりだ。
2024年に80歳を迎えた西本さんは、免許証の返納を決意し、25年間に渡って乗り続けてきたRX-7(FD3S)を手放すことを決断。このRX-7の譲渡先は、同モデルをリリースしたマツダ株式会社となり、西本さんの80歳の誕生日となる12月18日、西本さんが車両の購入やメンテナンスでお世話になってきた九州マツダ赤迫店にて譲渡セレモニーが開催された。
セレモニー当日の店内には西本さんの愛車であったRX-7が展示され、西本さんに加えて、マツダ国内営業本部長の土井耕輔氏、九州マツダの有國嘉弘社長、九州マツダ赤迫店の木本健介店長が出席。各氏の挨拶ののち、ナンバープレートやキー掛け、初代RX-7のデザインを手がけた画伯・中島美樹夫氏のイラストをセットにしたシャドーボックスや、マツダの若手デザイナーによるスケッチなど、記念品の贈呈が行われた。
さらに、フォトセッション、メディアへの記者会見が行われるなど、盛大にセレモニーが行われたのだが、それもそのはず、西本さんとRX-7にはなかなか深いストーリーが秘められていた。
1966年に21歳で運転免許証を取得した西本さんは、トヨタ・パブリカを購入。その後もパブリカ→コロナ→コロナ→コロナ→コロナ・クーペと乗り継いできた西本さんは1999年、55歳でRX-7を購入したのだが、そのきっかけは人気漫画「頭文字D」だった。
「コロナ・クーペに長く乗っていたんですけど、エンジンがもちそうになかったので買い替えを検討しました。私が希望していた2ドアのスポーツタイプのクルマがなかったんですけど、そんなときに頭文字Dが始まりました。息子と食いついて見ていたんですけど、そのなかにRX-7が出てきて、カッコいいと思いました。ひと目惚れです。本当は当時のカタログにあったブルーが欲しかったんですけど、ディーラーの当時の担当の方が『ブルーは飽きがきますよ』ということで、お勧めされたグレーにしました。でも、いま思えばこの色でよかった」と購入したきっかけを懐古する。
そんなRX-7で西本さんのお気に入りのポイントは、独特の形状を持つテールまわりで、「前よりも後ろのほうが好きです。なめらかな形で、一体感があって好きですね」と語る。
こうしてRX-7でカーライフを始めた西本さんは、買い物などの日常ユースのほか、「運転席に乗り込んで走り出すとクルマと一体感がでてくる。ただ走ることが好きでした」ということで、さまざまな場所をドライブしていた。「一番遠いところは鳥取県の米子で、はわい温泉です。長崎から800kmです」とのことで、ロングツーリングも満喫していたようだ。
「最初は10年か10年ちょっとで買い替えなきゃいけないかな……と思っていました。もし、マツダがRX-7の販売を続けていたら、そのときにまた同じクルマを買おうと思っていたんですけどね。販売が終了したので、これしか乗れない……ということもあって、九州マツダの赤迫店で整備をしてもらいながら25年も乗り続けることができました」と語る。