名勝負が数多く生まれた
1991年に再び大きな改修がありコースの全長3330mとなり、MINEサーキットに名称変更。同時に時計まわりに変わっている。
このMINEサーキット、メインストレートは長いが、16のコーナーのほとんどが中低速コーナーで、しかも他所のサーキットに比べて、路面のミューが低いのが特徴。
雨になると展開が読みにくく、F3000やフォーミュラニッポンでは、外国人ドライバーが強味を発揮しやすいコースとしても知られ、フォーミュラニッポン、グループA、JGTC、JTCC、スーパー耐久、JSPCと、レースファンの記憶に残る、いいレースが多かった。
グループAでは、1987年の開幕戦で、三菱のスタリオンが高橋国光・中谷明彦のコンビで優勝したのもこの西日本サーキットだった。
しかし経営母体のしかし、「セントラルパークゴルフ倶楽部」の経営が傾き、玩具メーカーのタカラの子会社であるチョロQモーターズへ経営権が譲渡された。
そして2006年、タカラがトミーと合併するのに合わせ、サーキットを閉鎖する方針が決まり、これをマツダが買収することに。
その後はテストコースとなったため、不定期のイベントなどの機会を除き、マツダ関係者以外は入場できなくなり、レースやスポーツ走行の機会は失われてしまった。
ちなみにテストコースに改修後、ピットやスタンドなどのサーキット的な機能は取り壊されて、車両の急旋回性評価などを行う「スキッドパッド」、高速でのスラロームテストなどを行う「フリーフラットコース」、高速でのワインディング走行などを行う「ワインディングコース」などが新設されている。