この記事をまとめると
■フェラーリには資金があるだけでは買えない特別なモデルが存在する
■「スペチアーレ」は台数限定で限られたオーナーの手もとにしか届かない
■「スペチアーレ」のさらに上をゆく「イコナ」「ワンオフ」といったモデルも
お金を積むだけでは手に入らない
最近、スーパースポーツカーのトップブランドには、大きくわけて2種類のモデルが存在するように思う。ひとつは「この○○というクルマ、ほしいのですけれど」と、ごく一般的なアプローチからディーラーとの交渉を始めるケース。そしてもうひとつは「今度発表される△△というクルマなのですが、ご購入の予定はありますか」と、ディーラーやメーカーの側から意思を問われるケースだ。
後者のもっとも象徴的な例といえるのは、やはりフェラーリだろう。いかに世界の頂点に君臨するブランドであるとはいえ、お金を払うことができればどのようなモデルでもオーダーすることができるのだろうというのはまったくの間違い。
もちろん、一般的なクルマのように商談をして仕様を決め、納車までには長い列に並ばなければならないけれど、確実に新車を手に入れることのできるモデルもある。生産台数や生産期間が限定されていない通常のプロダクションモデルならば、それは十分に可能だ。今回紹介するのはそうではない、いくらお金をもっていても簡単に購入することのできないモデルの話である。
フェラーリの創始者であるエンツォ・フェラーリは生前、自らのブランドの価値を高めるには、つまりフェラーリが高価であっても特別なクルマであることをアピールするには、常に在庫を品薄の状態にしておくことを意識していた。
創業からしばらくのあいだ、フェラーリが販売していたのはレースで使用したV型12気筒エンジンを搭載するシャシーのみで、それに流麗なボディをデザインし組み合わせるのは、いわゆるカロッツェリアの仕事だった。カスタマーは自身のクルマとフェラーリのF1マシンに共通項を見出し、フェラーリの世界に没頭していったのだ。
望むカスタマーのすべてにフェラーリを売らない。そのエンツォの哲学を確かに継承したのは、エンツォの没後フェラーリを率いる立場となったルカ・ディ・モンテゼモロだった。フェラーリはそれ以前に、1987年の創立40周年を記念して「F40」を発表。
それは結果的に1311台(諸説あり)も生産されるヒット作となったが、その開発責任者であったニコラ・マテラッツィは、エンツォ・フェラーリとの間で、F40を400台程度の限定車としてデビューさせることを計画していたという。エンツォの死によって、その販売台数は3倍以上にも増える結果となったのだ。