この記事をまとめると ■R34GT-RにはZ-tuneなる限定車が存在した
■「TOP OF THE GT-R」を目指して開発された究極のGT-Rだった
■中古車をベースにNISMOが徹底的に手を入れ19台が約1700万円で販売された
NISMOが仕上げた究極のスカイラインGT-R NISMO創立20周年を記念して4年間かけて製作されたコンプリートカー第3弾! 「NISMO R34GT-R Z-tune」は「TOP OF THE GT-R」を目指し、NISMO(現・日産 モータースポーツ&カスタマイズ株式会社・NISMO事業部)の総力を結集。足掛け4年間のテスト&製作期間を経て、NISMO創立20周年となる2004年12月20日に発売されたNISMO270R、NISMO400Rに続く、第3弾となる市販コンプリートカーだ。
日産 スカイラインGT-R Z-tune (BNR34) 画像はこちら
この特別なR34GT-Rは、NISMOがグループAからスーパー耐久レース(以下S耐)に至るまでのレース車両開発で培ったノウハウと技術を余すことなく投入したモデルだ。初めてZ-tuneが披露されたのは2000年のニスモフェスティバルで、初の試みであった模擬レースの「GT-Rチューナーズバトル」にエントリーし、エリック・コマスの手により初開催初優勝と、センセーショナルなデビューを飾ったのは記憶に新しい。
日産 スカイラインGT-R Z-tune (BNR34) (2000年 ニスモフェスティバル) 画像はこちら
最初は市販化云々よりも「ロードゴーイングカーのなかで1番速いものを作ろう」というのがスタートで、エンジンはニュル24時間レースで使用していた2.8リッターエンジンのデチューン版といえるZ1エンジンを搭載。競技車両に近かった2000年モデルは600馬力/66㎏-mとグループAレース並みのスペックを誇っていた。
エンジンにはGT選手権で使われていたブロック、クランクシャフトが組み込まれた 当時、NISMOは「ニスモでチューニングしたロードカーに乗ってみたい」というユーザーの要望に応えるべく、スポーツリセッティング、S1、R1という明確なコンセプトに基づく、ストリートチューンメニューを展開していた。Z-tuneはその頂点に君臨するモデルとして最終的にはロードカーを目指すことになったため、マシンメイクは困難を極めた。
日産 スカイラインGT-R Z-tune (BNR34) 画像はこちら
その指針のもとドライバーの田中哲也氏とともに500馬力オーバーのパワーとトルクに各部の信頼耐久性は担保できるかを含めて開発が続けられ、市販化の目処が経ったのは約3年後の2003年の夏ごろだった。
「500馬力のロードカーを自信をもって販売する」というコンセプトを見極めるための時間は、開発陣の想像を遥かに超えていたという。まさにNISMOのプライドと誇りをかけた挑戦であった。
日産 スカイラインGT-R Z-tune (BNR34) 画像はこちら
エンジンは上述のとおり、ニュル24時間レースを戦ったS耐マシンとスペック以外は共通。GT選手権での使用を前提に開発された高い信頼耐久性を誇るGTブロック、GTクランクシャフト、専用鍛造ピストンを軸に組み込んだ2.8リッター仕様はタービンに市販車のギャレット製と異なるIHI製を組み合わせた。当初よりストリート向けに手が加えられ、Z2と名乗ることになったRB26DETTのスペックは500馬力以上/55㎏‐m以上となっている。
日産 スカイラインGT-R Z-tune (BNR34)のエンジン 画像はこちら