クルマだけでは解決できない
2020年に、当時の菅 義偉総理大臣が国内の温暖化ガスの排出を2050年までに実質ゼロにする方針を示した。これによってクルマの電動化、ことに電気自動車(EV)の導入を急ぐ機運が起こった。2035年までにエンジン車の販売を禁止する方向で、日本政府は動いた。
CO2の排出と吸収をプラスマイナスゼロにすることは、容易でない。そこで、排出権取引という手法が編み出された。国や企業間で、温室効果ガスの排出量を定め、それを上まわる効果を上げたところは、下まわったところに権利を売ることができるという、一種の商取引だ。しかし、これでは各国、各企業それぞれ個別でのCO2排出削減が、不十分であるのは間違いない。
そうした遅れが、さらに気候変動を悪化させかねない。
クルマでいえば、今日にでも全車をEVにしなければ間に合わないほど、気候変動は深刻な状態にあると考えていい。
一方で、EVで使うリチウムイオンバッテリーの製造でCO2の排出が多いといわれ、懸念する声がある。しかし、要は新車の話だけではない。そのクルマがこの先10年以上存続することに問題がある。各国とも発電の脱二酸化炭素化を前進させており、日本でさえ、2030年には火力発電を半分ほどに減らす構えだ。10年後に電源構成が脱二酸化炭素へ向かっても、なお燃料を燃やして走るクルマがなくならないことに課題が残る。
なぜなら、たとえエンジン車の燃費が2割よくなろうと、ハイブリッド車(HV)に切り替わり燃費が半減しようと、2000年に比べ2023年の世界の自動車保有台数は2倍近くに増えており、排出ガスの総量は2倍以上だ。よって燃費改善の効果が相殺されてしまう。
気候変動への対応は、誰もが被害者になる可能性があると同時に、自分自身が加害者にもなってしまう問題だ。
自ら率先して対応しながら、国民のそうした行動や思考が、国を動かす後押しとなって電力の脱二酸化炭素をさらに急がなければ、たちまち住めない惑星となってしまう危険をはらんでいる。