この記事をまとめると
■トヨタ自動車のルーツは豊田紡織という繊維工場だ
■1930年より自動車のエンジン開発に着手した
■100年以上前に作られた建物もまだ現存している
トヨタがここまで巨大になったルーツを辿る
「トヨタ自動車」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。世界を代表する大手自動車メーカーというイメージでしょうか? それとも、プリウスやアルファードといった車名が頭に浮かぶでしょうか?
今回の取材を通じて私が学んだのは、トヨタ自動車が最初から順調に自動車メーカーとして発展してきたわけではなく、創業時代の方々が血の滲むような努力を積み重ねてきた結果、いまの姿が築かれたということです。その背景を知ったことで、私のなかでトヨタ自動車のイメージは一変し、新たな見方ができるようになりました。
まずは、そんなトヨタ自動車のルーツをたどってみましょう。じつは同社、最初から自動車作りをしていたわけではないんです。スタートは紡織技術で成功を収めた豊田紡織(現:トヨタ紡織)に行き着きます。
この紡織を始めたのが、現トヨタ自動車会長の豊田章男氏の曽祖父にあたる豊田佐吉氏です。
佐吉氏は、大工の父と紡織をしていた母の間に生まれました。小学校を卒業後は父のもとで大工修行を始めましたが、「母の仕事を楽にしたい」という思いから、手機(てばた)紡機を開発し、発明家としての道を歩み始めました。
この「誰かのために」という精神は、いまのトヨタが掲げる「幸せを量産する」という使命にも通じているように感じます。人々の幸せを考え、よりよいものを安く作るという姿勢は、クルマづくりを始める以前から芽生えていたものであったのです。