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ニスモ40周年・トムス50周年・モデューロ30周年と2024年はワークスの周年祭り! クルマ好きのハートに火を灯し続ける3ブランドヒストリー!! (1/2ページ)

ニスモ40周年・トムス50周年・モデューロ30周年と2024年はワークスの周年祭り! クルマ好きのハートに火を灯し続ける3ブランドヒストリー!!

この記事をまとめると

■「NISMO」「TOM’S」「モデューロ」は2024年にメモリアルイヤーを迎えた

■レースの世界では輝かしい成績を残してきた

■コンプリートカーやアフターパーツも手掛けている

2024年はNISMO・TOM’S・Moduloの記念すべき年

 今年、2024年は日本のモータースポーツ史のひとつのメモリアルイヤーで、日産ワークスのNISMOの創業40周年、そしてトヨタのセミワークス、TOM’Sが50周年、さらにホンダのモデューロが30周年を迎える。

 それらの歴史を振り返ってみよう。

●NISMO

 まずはNISMOから。NISMOの前身は、1964年の第2回日本GPのために組織された日産ワークス(追浜ワークス)と日産の広報宣伝部の大森分室(大森ワークス)。黎明期の日産ワークスのメンバーは、ホンダワークスとして二輪の世界GPで活躍した田中健次郎、高橋国光、北野 元の3名。のちにNISMOの初代社長になる難波靖治(日本海軍出身、ダットサン入社後1958年豪州ラリーに参加)が、ホンダの二輪のワークスチームを率いていた河島監督(のちの本田技研二代目社長)にかけあって、四輪への転向の道を切り開き、日産ワークスが誕生した。

 その翌年には、日産とプリンスが合併し、プリンスのワークスドライバーだった横山 達、砂子義一、大石秀夫らも日産ワークスに合流。さらに、1967年に黒沢元治が大森ワークスから追浜ワークスに昇格し、黒沢、高橋、北野の3大エースが、「日産三羽烏」と称され、大活躍をする。

 当時のレース界の花形は、R380、R381、R382などのビッグマシン。R380はポルシェと激闘を繰り広げ、グループ7が解禁となった1968年(R381/北野 元)、1969年(R382/黒沢元治)の日本グランプリは、日産ワークスが二連勝。

 ツーリングカーレースでは、スカイラインGT-R(ハコスカ)が50勝を達成し、一時代を築いた。その後、オイルショックでワークス活動を休止したため、1970年に加盟した星野一義が旧日産ワークス時代は最年少で最後に加盟したドライバー。

 その日産ワークスがNISMOとして復活したのが、1984年。グループ5のレースが盛り上がり、グループCがはじまり、日本でもWECジャパンや全日本耐久選手権がスタートしたのに合わせて、大森ワークスと追浜ワークスが合併する形で誕生したのが、新生日産ワークス、「ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル=NISMO」だ。

 そのNISMO設立時の最大のターゲットは、ル・マン制覇!

 NISMOとしてのル・マンへの初チャレンジは1986年。その後、1990年にポールポジションを獲得するが、この1990年でル・マンチャレンジはいったん休止。

 しかし、1992年のデイトナ24時間レースでは、日本製マシン、日本人ドライバー(長谷見昌弘、星野一義、鈴木利男)による初優勝を達成。また、1995年から復帰したル・マンでも、1998年に日本人チームによるル・マン史上初の表彰台(星野一義、鈴木亜久里、影山正彦)も成し遂げている。

 そのほか、国内のグループA、JTCC、JGTC、スーパーGTでの活躍は枚挙にいとまがない。

 また、近年はアフターパーツやNISMOバージョンの市販車などでも注目されていて、日本のスポーツカーやツーリングカーレースは、NISMO抜きには語れないほど。

 長谷見昌弘、星野一義といったレーシングレジェンドを筆頭に、ワークスドライバーの質の高さでも群を抜いている存在だ。

 ちなみにNISMOとしてのレース初優勝は、1984年、FJ20エンジンを搭載した鈴木亜久里のF3。

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