代表作にして渾身の一作「ストーム」
そして、次なる野望としてリスターカーズが狙いを定めたのが、自社ブランドに独自の新しいスーパースポーツを生み出すこと。その計画が結実したのは1993年、「リスター・ストーム」の誕生である。
ストームは、ジャガーがル・マン24時間レースなどに投入したグループCマシン、「XJR-9」に搭載されていたV型12気筒エンジンをベースとした、当時としては最大級となる6996ccの排気量を設定した狂気のモデルだった。
カーボンファイバー製のシャシーとボディワークを組み合わせた構造は、まさにレーシングカーそのものの構成で、左右のドアとグリーンハウスのみをVWコラードのデザインから流用しているほかは、ほぼすべてがリスターのオリジナルデザインであるといってよい。参考までにそのCd値は0.35。エアロダイナミクスも十分に高性能なものであった。
V型12気筒エンジンが発揮する最高出力値と最大トルク値は、それぞれ554馬力、790Nm。このスペックが負担する車重は1664kgで、したがって0-97km/h加速は4.1秒。最高速は335km/hを達成。それはオンロードを走行できるモデルとしては、デビューからしばらくの間、世界最速の4シーターグランドツアラーと評された。
だがこのストームには大きなウイークポイントがあった。それは22万ポンド(現在の日本円換算で約4300万円)に設定されていた車両価格で、購入を考える多くのカスタマーはこの数字を前に、ストームのオーナーとなることを諦めなければならなかったのだ。結果的にストームの生産が中止されるまでに販売された台数は、わずかに4台が記録されているのみである。
一方でリスターカーズは、ストームをサーキットへと導くことには積極的だった。1995年のル・マン24時間レースには「ストームGTS」で挑むものの、ギヤボックスのトラブルでリタイヤ。だが翌1996年には、このギアボックスを6速のシーケンシャルタイプに変更した、進化型のストームGTSで、見事に同レースを19位で完走している。
その後、リスター・カーズはストームGTSをBPRグローバルGTシリーズに投入。鈴鹿1000kmレースにもエントリーしたことを記憶しているファンも多いはずだ。
ストームGTSはさらに、「ストームGTL」、「ストームGT」、「ストームLMP」と進化を続け、最終的にファクトリーチームは2004年までモータースポーツ活動を続けている。
現在のリスターは、正式にはリスター・モーター・カンパニーへと、再びその社名を変更しており、そのビジネスのメインはジャガー車をベースとしたチューニングモデルや特別仕様車の企画、製作と販売に移行している。
このようにリスターの歴史を振り返ると、ストームとともにあった時代こそが、彼らがもっとも輝いていた瞬間であったような気持ちにもなる。はたして4台のみが生産されたロード仕様のストームは、いまどこに安住の地を得ているのだろうか。