この記事をまとめると
■日系プレミアムブランドは1980年代に「レクサス」「アキュラ」「インフィニティ」として誕生
■当初はいずれのブランドも既販車を改良したモデルをラインアップするにすぎなかった
■のちにトヨタ、ホンダ、日産とは別に開発したオリジナルモデルを市場導入するようになった
1980年代に始まった日系プレミアムブランド
いまや、日本でレクサスといえば、高級車ブランドの代名詞となった。そんなレクサスが生まれたのは1980年代のアメリカだ。そのころ、レクサス、さらにアキュラとインフィニティはどのような感じだったのか。当時の実体験を基に振り返ってみたい。
日系プレミアムブランドで先行したのは、ホンダのアキュラだった。
SCCA(スポーツ・カー・クラブ・オブ・アメリカ)の全米ツーリングカーシリーズにインテグラが参戦したことで、アキュラのマーケティングが事実上スタートした。そうしたモータースポーツ活動で狙ったのは、スポーティブランドとしてのイメージアップだ。
つまり、アキュラのブランドとしてのポジショニングは、たんなるホンダの高級モデルではなく、ホンダのスポーティ性をさらに高めることが目的だった。
同じころ、トヨタはレクサス構想実現に向けて、米国トヨタのアメリカ人幹部を中心として、日本のトヨタ本社にレクサス実現の必要性を説明し続けていた。
こうしたアキュラとレクサスの動きを受けて、日産もインフィニティ実現に動いた。
こうして始まった日系プレミアムブランドだが、各社とも立ち上げ期からしばらくの間、モデルラインアップを揃えるために、トヨタ、ホンダ、日産の既販車を事実上、改良したモデルが存在した。
具体的には、サスペンションのセッティング変更やエンジン改良によるパワー&トルクアップ、内外装の仕様変更などでの対応だった。いわば「バッジ替え」とも受け取られかねない状況であったが、全米各地の新車販売店からはモデル拡充に対する要望が続いた。
当時、レクサスについてアメリカでの一般的な見方は「日本発のまったく新しいブランド」であり、トヨタが企画したブランドだとは認識していない人が少なくなかった。
こうした状況が、1990年代後半から2000年代に入り大きく変化した。欧米メーカー各社がプレミアムブランドについて攻勢を強めたのだ。メルセデス・ベンツ(当時ダイムラー)のAMG、BMWのM、VWのR、そしてGMキャデラックのVシリーズなどである。
これを受けて日系プレミアムブランド各社は、トヨタ、ホンダ、日産とは別建てで独立した開発によるオリジナルモデルを相次いで市場導入するようになる。
あわせて、北米市場でシェアが拡大したSUVについて、多様なオリジナルモデルを新設することにつながった。
その後、日系プレミアムブランドは中国など海外展開を進めていった。
日本市場についてはレクサスが参入。ホンダと日産は過去、アキュラとインフィニティを導入を検討したが、収益性や販売店との関係性などさまざまな理由から実現に至っていない。