この記事をまとめると
■シェルビーはコブラと同じ手法でサンビーム・タイガーを製作
■サンビーム・タイガーは162馬力仕様がリリースされエクストラで245馬力仕様もあった
■ル・マンやGTカテゴリーやラリーに参戦するなどモータースポーツでも活躍した
伝説のシェルビー・コブラと同じ手法をサンビームで再現
ACコブラで有名なキャロル・シェルビーは、1960年代に入ると目が回りそうな忙しさだったに違いありません。イギリスのACカーズとのコブラ計画にはじまり、太客のフォードからは打倒フェラーリという命題を課され、さらにはルーツ社からもV8換装モデルの打診まで。なるほど、これじゃ心臓だって悪くなろうというもの。とはいえ、いずれのジョブについてもシェルビーはコンプリート!
ところで、前者のふたつは大成功を収めたことは超有名ですが、彼にとってコブラに次ぐイギリス車+V8マシンとなったサンビーム・タイガーについてはさほど知られていないかもしれません。
サンビーム・タイガーは1964年に発売された2ドアオープンのスポーツカー。発売当時こそ、ルーツ社傘下に収まっていましたが、サンビームは1905年創業の老舗ブランド。その昔は、同じくタイガーの名を冠したスポーツカーをリリースして速度記録(1925年)を樹立するなど、スポーツカーメーカーとしてはトップランナーだったといっても過言ではありません。
ですが、例によって財政困難からルーツに買収されてしばらくは、これまた買収されていたタルボットとのダブルネームなど、バッジエンジニアリング的なクルマに終始。それでも徐々にサンビームの名声は回復していくのですが、決定打となったのは2代目サンビーム・アルパインの登場、時に1959年のことでした。
そもそも初代アルパインもその名のとおりアルパインラリーでの活躍を果たし、2代目にいたってはラリーモンテカルロやル・マンでも好成績を収めたほか、映画「ドクター・ノオ」ではショーン・コネリーがステアリングを握り、スクリーン上で最初のボンドカーとなるなど、サンビームにとって忘れがたいモデルにほかなりません。
アルパインの活躍による名声回復をさらに伸ばそうと、ルーツのトップ、ウィリアム・エドワード・ルーツ卿はアルパインをグローバルモデルとすることを命じました。すなわち、1.5リッターほどのエンジンでは当時のスポーツカーシーンでは埋もれてしまい、とりわけ巨大マーケットとなるアメリカでは存在感がいまひとつなことが要因だったとされています。
そこで、アメリカ西海岸のルーツ社セールスマネージャー、イアン・ギャラッドに本社からのミッションが通達され、彼は近所にあったシェルビーのファクトリーを訪れたのでした。すでにコブラやGT40で大忙しだったファクトリーですが、どうやらジャック・ブラバムが間を取り次いだらしく、シェルビーはアルパインのV8換装プロジェクトを請け負うことに。
面白いのは、シェルビーの多忙さに不安を感じたギャラッドは同時期に(こちらもご近所だった)ケン・マイルズにもV8アルパインの試作をオーダーしていたこと。シェルビーが8週間、1万ドルの予算が与えられたのに比べ、マイルズはわずか800ドルをもらって1週間で試作車を完成させたとか。