この記事をまとめると ■R33型スカイラインGT-R をベースにした究極のコンプリートカー
■レース直系のパーツを惜しみなく投入しトータルバランスを追究
■1200万円の価格ながら55台が販売された
NISMOのアフターパーツブランドのシンボリック的なモデル 2024年9月17日に「ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(現・日産 モータースポーツ&カスタマイズ株式会社・ニスモ事業部)」が創立40周年を迎えた。当初は日産ワークスとしてさまざまなカテゴリーへの参戦とレースを軸とした日産車オーナーの活動支援を行うモータースポーツ専門会社であったが、ふたつ目の事業の柱としてストリート向けのパーツビジネスに参入したのは1993年のことだ。その年には現在、全国ニスモショップの総本山「ニスモ大森ファクトリー」の前身となる「NISMO PRO ARMS」を立ち上げ、要望の高かった一般ユーザーのパーツ取り付け作業を開始。
ニスモ大森ファクトリー(旧社屋) 画像はこちら
1994年には東京オートサロンにTRDやマツダスピードとともに「ワークス・チューニング・グループ」として初出展するなど、アフターパーツビジネスの本格稼働に向けて動き出した。そのシンボリックモデルとして1996年1月に誕生したのが、R33型スカイラインGT-R Vスペックをベースとしたコンプリートカー「NISMO 400R」だ。
R33スカイラインGT-Rベースのコンプリートカー「NISMO 400R」のフロントスタイリング 画像はこちら
創立10周年を記念して製作されたNISMO 270Rの成功が製作に繋がった NISMOがパーツビジネスのゴールに見据えていたのは、AMGやBMW アルピナのような欧州ワークスチームが手がけるコンプリートカーの販売。それは、のちにNISMOロードカー事業で結実するが、当時はゼロからのスタートだったため、とてつもなく高いハードルだったことは想像に難くないが、運よく、翌年に創立10周年という節目を迎え、記念事業としてコンプリートカーを製作することが決断された。
そのモデルとして選ばれたのはGT-Rではなく、S14型シルビア。「NISMO 270R」と呼ばれる初のコンプリートカーは、ノーマルの220馬力から270馬力へ馬力を向上させ、内外装、足まわりまですべてに手が入れられた。価格はベースモデルのK’sの約2倍となる450万円。販売台数も30台であったが、最終的に抽選販売となると応募が殺到。この結果を受け、プロジェクトチームの面々が翌1995年に発表されるR33型スカイラインGT-Rをベースとしたコンプリートカー製作に並々ならぬ意欲を示したのは間違いない。
日産シルビア270R 画像はこちら
事実、1995年の東京オートサロンには「400Rプロト」と命名されたR33GT-Rをベースとした車両を参考出品。当時はまだ製作の決断には至ってなかったというが、「シルビアの次はGT-Rのコンプリートカーか」とかなりの話題をさらった。
R33スカイラインGT-Rベースのコンプリートカー「NISMO 400R」のNISMOバッジ 画像はこちら ブランド戦略「出力向上ではなく、トータルバランスを磨く」の礎を作った 「400」という数字はシルビアの270と同じで最高出力を示す。アフターマーケットではそれを上まわるスペックを持つGT-Rのチューンドカーは数多く存在していたが、400馬力に留めたのは、コンプリートカー販売を見据え、「日産ブランドとして安心、安全を担保する」ことを重視したため。過去のレースの実績から各部の信頼耐久性に問題がないことを目標としたのだ。ショップのチューニングカーとは一線を画す考えだ。
ストリートパーツを含めて、約1年の開発期間を経て正式発表されたNISMO 400Rは、当初は「サーキット最速のチューニングカー」を目指して開発が進められたが、最終的にはロードカーとしてのバランスを重視する方向にシフトした。市販のGT-Rのコンセプトである「意のままに操れる楽しさ」を底上げし、「ラップタイムだけに惑わされることなく、トータルバランスを考え、クルマそのものの性格を作り上げていく」という考えは、のちのNISMOのカスタマイズパーツ作りの基盤となった。NISMOとしても特別なクルマであったのだ。
R33スカイラインGT-Rベースのコンプリートカー「NISMO 400R」のリヤスタイリング 画像はこちら