噂の域を出ない謎の数字も
一方、トヨタ系のチームとしてはTOM’Sの「36」と「37」がおなじみだが、かつてTOM’Sのエースとして「36」をつけていた小河 等選手が36歳で亡くなったことから、エースナンバーとして「36」が定着。それに続く番号として、「37」もTOM’Sの2台目のマシンに採用されることになったといわれているが、CERUMOの「38」とSARDの「39」に関しては、その由来がはっきりとしていない。
一説にはスーパーGTの前進となるJGTC(全日本GT選手権)と同時にスタートしたJTCC(全日本ツーリングカー選手権)にCERUMOがトヨタワークスの一角として2台のトヨタ・コロナを投入。そのときのカーナンバーが「38」と「39」で、のちにそのナンバーをCERUMOが「38」、SARDが「39」とわけ合った……といわれている。
これと同様にWedsSports BANDOHの「19」もカーナンバーの由来がはっきりしていない。同チームは1987年にJTC(全日本ツーリングカー選手権)のディビジョン3に参戦していたが、WedsSportsのカラーリングでJTCに参戦していた浅野レーシングが「18」を使用していたことから、その続きで「19」を選んだといわれているが、その一方で、当時「19」を使用していたTEAM IMPULからカーナンバーを譲り受けた……という説もある。
ちなみにROOKIE Racingの「14」は、スーパー耐久やMORIZOがTGRラリーチャレンジに参戦していたときに使用していた「104」が由来で、トヨタのト=10とヨ=4を組み合わせた数字となっている。
そのほか、ホンダ系チームに目を向ければ、ARTAの「8」は、若い数字から探していった際に当時空いていた数字……というのが由来となっているようで、「16」はもともとTEAM MUGENが使用していたカーナンバーだ。このTEAM MUGENの「16」の由来に関してもはっきりしていないが、一説によれば当時、プロ野球で活躍していた選手の背番号を使用したらしい。
REAL RACINGの「17」に関しては、ホンダの創業者、本田宗一郎氏の誕生日(11月17日)が由来となっているよう。Nakajima Racingの「64」はチーム代表の中島 悟氏が1989年のオーストラリアGPで、自身初のファステストラップを記録した64周目にちなんでいる。
さらにTEAM KUNIMITSUの「100」も、チーム代表だった高橋国光氏の活躍にちなんでいるようで、高橋氏が二輪のロードレースの世界選手権・西ドイツGPで初優勝を獲得したときのナンバーが100だったことが由来となるなど、各チームでカーナンバーの選択理由はじつにさまざまとなっているのである。