レースでも活躍していたカプリがロードスターをあと追い
また、当時のマーケティング手法としては一般的だったレース活動も、カプリは存分に活用しました。イギリス・フォードといえばSVO(Special Vehicle Operation)が超有名ですが、カプリは主にドイツ・フォードのワークスファクトリー(フォード・モータースポーツ・ケルンGMBH)がチューン&エントリー。グループ2仕様に仕立てられ、1971年にはスパ・フランコルシャンの24時間レースで総合優勝までかっさらっています。
なお、同年は10レース中8レースで表彰台に上がるという破竹の勢いでしたから、この当時を知るファンにとって、「EVの4ドアSUV」は確かに納得いかないかもしれません(笑)。
その甲斐あってか、1970年代初頭には日本にも正式輸入がなされ、イギリス版の1300GTや1600GTといったモデルが上陸。他の英国車を抑えて、カプリは最多販売モデルになったこともあったといいますから、レース・マーケティングは大成功だったというべきでしょう。
結局、二代目カプリはマークIIIまでモデルチェンジを重ねたものの、ほとんどマイナーチェンジに等しいもので、人気があったからなのか、フォードらしい手抜きだったのかはわかりません。
さて、本当はマークIIIがザクスピードによってグループ5に仕立てられたエピソードや、サーキットの狼についても語りたいのですが、そろそろ三代目カプリについて振りかえりましょう。これまた、シャシーやエンジンがマツダ製なことや、カロッツェリア・ギアがデザインしたバルケッタスタイルなど、忘れ去られてしまうにはもったいないモデルです。
いまはなきフォードの大衆車ブランド「マーキュリー」からリリースされたフォード(マーキュリー)・カプリは、マツダ・ファミリアのコンポーネントとエンジンを流用し、カロッツェリア・ギアがデザインしたオープンボディをまとったコンパクトモデル。
デビューは1989年で、マツダのMX-5ミアータと完全にバッティングしかけたのですが、カプリは生産開始直前にエアバッグの衝突試験が課されることになり、大幅な遅延が発生。しかも、北米生産が間に合わず、オーストラリアで作られ始めたことから北米での価格も上昇。ついには、フォード首脳陣が画策していた「MX-5より早く発売する」ことは叶わなかったのでした。
が、FFコンポーネントの完成度は高く、またギアがつくったバルケッタ風味のスタイルや、安価なわりに4人が乗れるということで評判はさほど悪くはなかった様子。とはいえ、ご承知のとおり全米を襲ったミアータタイフーンの威力は凄まじく、カプリは採算分岐点に届く前に生産終了。ミアータの親戚みたいな立場なのに、あんまりといえばあんまりな仕打ちです。
しかしながら、近年この三代目カプリをしっかりレストアするオーナー達も増加傾向だそうで、SNSのおかげなのか、各地でファンミーティングまで開催されているとのこと。カプリの名に恥じない晩年といって差しつかえないのではないでしょうか。
ざっくりとEVに至るまでのカプリ史を振り返ってみると、地味ながらもなかなか味わい深いものではないかと。旧式なアメ車から大活躍のスポーツカー、そして気軽なバルケッタを経ての電気SUVと、脈絡なく使いまわされているネーミングなのに不思議と愛着がわいてきませんか。やっぱり、フォードのマーケティング戦略は奥が深い(笑)。