「長谷見」「星野」「マッチ」などのレジェンドに豊田章男理事長まで駆けつけた! NISMOが創立40周年記念式典を開催 (2/2ページ)

豪華ゲストがNISMOを語る

 ステージに登壇した豪華ゲストたちが、NISMOについて語るトークショーも開催された。

 長谷見氏からは、「NISMOはクルマが大好きな人たちが純粋にクルマを楽しんでいたね。そんな雰囲気に溢れていたからこそここまで来れたんだと思うよ」と、当時を懐かしむ声が聞こえた。

 日本一速い男でお馴染みの星野氏からは、「1985年にWECにNISMOとして参戦したとき、当時の社長の難波さんから、土砂降りだったのにもかかわらず、かなりの無茶振りをされたのはよく覚えてるねぇ。けど、当時の契約金は凄かったから、それに答える形で走りきったよね(笑)」という思い出話を語る場面も。

 マッチの愛称でお馴染みの近藤真彦氏は、「NISMOとのかかわりは、当時、ル・マンに参戦している日産の応援団という立ち位置でレース現場に出向いてたのがきっかけです。そのときは、借り物だったNISMOワークスのジャンパーを着て、写真などを撮ってました。その後は、マーチでレースをさせてもらったりしたのちに、難波社長がル・マン参戦のドライバーとして、NISMOのメンバーに迎え入れてくれました。そのとき初めて、本物の日産ワークスのジャンパーに袖を通すことができたんですね。あの瞬間は感動したなぁ」と当時を回想。

 司会から長谷見氏や星野氏に対して、「今後のNISMOを担うであろう若手ドライバーの千代選手と高星選手に何か伝えたいことはありますか?」という問いかけに対して長谷見氏は、「とにかく1台でも前に出るという意思を持ってレースを走ってほしいね」とひと言。

 星野氏からは、「レースでの失敗を恐れる必要はない。限界を越えるのがプロの仕事。俺はトップ以外認めないくらいの心意気でレースに挑戦しているので、今後の日産を背負っていく気もちをもって本物のプロに成長してくれ」とエールを送った。

 千代選手からは、「2024年シーズンからは23号車を背負うことになったのでプレッシャーがありますが、『いつでも全開で行く』という信念のもと、失敗してもチャンスをくれるNISMOのためにも頑張りたいと思います」と熱い想いを我々に語った。

 高星選手は、「NISMOはカートで走っていたころからサポートをしていただきました。それがなかったらいまごろレースを続けていられなかったと思います。なので、いまの僕がいるのはNISMOにかかわる多くの方のおかげです。本当に感謝の言葉しかないです。引き続き頑張ります!」と熱い想いを我々に述べた。

 それと、日産といえば電気。電気といえば2024年の春に東京で開催され、大きな話題になったフォーミュラEの存在も欠かせない。そんなフォーミュラEを支える西川直志氏は、「日産ファンの応援は凄まじく、その迫力にはいつも驚きます。そんなフォーミュラEの技術は、市販車にも数多くフィードバックしています。今後もNISMOの名の下に、ワクワクできることをどんどん増やして、もっと日産とNISMOを好きになってもらえるように頑張ります」と意気込みを語った。

 数多くのレジェンドたちが支えてきたNISMOブランドについて、内田社長は「多くのファンとパートナーがいたからこそ、NISMOは40周年を迎えることができました。NISMOやモータースポーツ活動を通じて、笑顔の輪を広げたいと思います」と、我々に向けてコメントした。

 また、現在、神奈川県横浜市にある日産グローバル本社ギャラリーでは、「NISMO 40周年記念」の展示実施中だ。R33スカイラインGT-Rをベースとした伝説のコンプリートカー「400R」や、S14シルビアをベースとした「270R」、グループAで大活躍したR32スカイラインGT-Rや、ル・マン24時間レースで活躍したR390GT1などなど、貴重なクルマを10月15日まで展示中だ。

 なお、12月1日(日)には富士スピードウェイにて毎年恒例のNISMOフェスティバルを開催予定。40周年の記念すべき年ということもあり、今年はさまざまな催し物が企画されているとの噂も耳にしているので、こちらも要チェックだ。


WEB CARTOP 井上悠大 INOUE YUTAI

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