この記事をまとめると
■アメリカンスーパーカーブランドとしていまだカルト的な人気を誇っている「ベクター」
■ベクターは1988年に650馬力を発するシボレー製V8を搭載した「W8」を19台生産
■W8以降は「M12」を18台販売するも経営悪化により事業継続が困難となった
創業から17年で世界最高のスーパーカーを作るという夢を実現
アメリカで誕生したスーパーカーブランドとして、現在でもカルト的な人気を誇っているのが、今回紹介する「ベクターモーターズ」だ。その前身は創業者であるジェラルド・ヴィーガートによって1971年に設立された、エアロダイナミクスデザインをメインビジネスとする「ヴィークルデザインフォース」であり、彼は同社の設立当初から将来的には世界最高水準の運動性能を実現したスーパーカーの生産を夢に描いていたが、その計画は慢性的な資金不足から遅々として進むことはなかった。
そのヴィーガートの夢が叶ったのは、社名が「ベクターエアロモーティブ」へと変わったあと、1978年に完成した「W2」でのことだったが、このモデルもまた同様の理由によって生産は実現しなかった。
だが、ヴィーガートは、このW2のコンセプトを継承したスーパーカーの誕生を諦めることはなく、それから10年の時間を投じて1988年に「W8」を発表。
それは優秀なエアロダイナミクスを発揮するボディに、アルミニウム製のモノコック、シボレー製のV型8気筒OHVをベースとした改良型エンジンを、ギャレット製ツインターボで過給するパワーユニットをミッドに搭載する、当時としてはきわめて高性能で前衛的なモデルだった。
最高出力の650馬力を始め、実際にW8が記録したさまざまな運動性能データは、当時世界最強・最速の生産車と評された。また、社名はそれに前後して「ベクターモーターズ」へと再び改められている。
そのW8は、1990年になってようやくカリフォルニア州ウィルミントンの工場からデリバリーを開始するに至るが、その生産はわずかに19台のみが行われたのみ。これもやはり資金難が主な理由だった。
だがヴィーガートは、それでもなおスーパーカーの世界にさらなる高性能化という夢を抱き続け、1992年になるとW8の正当な後継車としてプロトタイプの「アヴテックWX-3」を完成させる。
W8が直線を基調としたボディデザインを採用していたのに対して、アヴテックWX-3のそれはさらに丸みが強調された、高性能なエアロダイナミクスを追求したものに改められていた。
ミッドに搭載されたエンジンは、W8で使用されたシボレーベースのものではなく、自社開発による7リッターのV型8気筒DOHC。
最高出力は600馬力をベースに1200馬力までの3ステージを設定。カスタマーの好みに応じてそれを選択するシステムが採用された。