パリダカが普通に見える超大規模イベント! いまじゃ絶対開催不可能な1万6000キロを27日間で走破する狂気のラリーがあった (2/2ページ)

開催は2回だけ!

 1992年に開催されたパリ-モスクワ-北京ラリーには、19カ国から161台がエントリー。うち出走したのは153台で、四輪部門には93台がユーラシア大陸の横断に挑んだ。

 なかでも、四輪部門には当時のパリ・ダカ“と同様にZXラリーレイドを投入するシトロエンとパジェロを投入する三菱の2大ワークスが激しいトップ争いを展開。同ラリーには日本人ドライバーの篠塚建次郎も参戦していたが、上位争いを繰り広げながらもオルタネーターのトラブルにより、4位でフィニッシュすることとなった。

 結局、サービスごとに主要パーツを交換する物量作戦を採用したシトロエンのピエール・ラルティーグが同大会を制覇。三菱のアーウィン・ウェーバーが2位、同チームのブルーノ・サビーが3位に入賞した。

 この空前絶後のスケールを持つパリ-モスクワ-北京ラリーは、それから3年後の1995年8月5〜26日に第2回大会として「パリ-モスクワ-ウランバートル-北京ラリー」が開催されたが、同大会を最後に“パリ-北京”が開催されることはなかった。

 ユーラシア大陸を横断する同ラリーは、ドラマチックで、ロマンに溢れる大会だったが、現在、ロシアはウクライナへ侵攻中にあるなど、社会情勢が不安定であるだけに、もう2度とユーラシア大陸を横断するラリーが開催されることはないだろう。


廣本 泉 HIROMOTO IZUMI

JMS(日本モータースポーツ記者会)会員

愛車
スバル・フォレスター
趣味
登山
好きな有名人
石田ゆり子

新着情報