開催は2回だけ!
1992年に開催されたパリ-モスクワ-北京ラリーには、19カ国から161台がエントリー。うち出走したのは153台で、四輪部門には93台がユーラシア大陸の横断に挑んだ。
なかでも、四輪部門には当時のパリ・ダカ“と同様にZXラリーレイドを投入するシトロエンとパジェロを投入する三菱の2大ワークスが激しいトップ争いを展開。同ラリーには日本人ドライバーの篠塚建次郎も参戦していたが、上位争いを繰り広げながらもオルタネーターのトラブルにより、4位でフィニッシュすることとなった。
結局、サービスごとに主要パーツを交換する物量作戦を採用したシトロエンのピエール・ラルティーグが同大会を制覇。三菱のアーウィン・ウェーバーが2位、同チームのブルーノ・サビーが3位に入賞した。
この空前絶後のスケールを持つパリ-モスクワ-北京ラリーは、それから3年後の1995年8月5〜26日に第2回大会として「パリ-モスクワ-ウランバートル-北京ラリー」が開催されたが、同大会を最後に“パリ-北京”が開催されることはなかった。
ユーラシア大陸を横断する同ラリーは、ドラマチックで、ロマンに溢れる大会だったが、現在、ロシアはウクライナへ侵攻中にあるなど、社会情勢が不安定であるだけに、もう2度とユーラシア大陸を横断するラリーが開催されることはないだろう。