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ハッキリいって遅かった……それでもミッドシップらしい走りは最高! 値段も手頃で乗るひとを幸せにした「フィアットX1/9」はやっぱり名車 (1/2ページ)

ハッキリいって遅かった……それでもミッドシップらしい走りは最高! 値段も手頃で乗るひとを幸せにした「フィアットX1/9」はやっぱり名車

この記事をまとめると

■フィアットのライトウエイトスポーツカーとして登場した「X1/9

■マルチェロ・ガンディーニが手がけたデザイン案が受け入れられてベルトーネが生産を担当

■軽快なターンインと抜群のスタイリングは「マイクロスーパーカー」といえた

1970年代のライトウェイトスポーツカー

 ライトウエイトスポーツカーというと、昔も今もフロントエンジンリヤドライブが定番と考える人が多い。しかし1970〜80年代は、手頃な価格で楽しめるミッドシップのライトウエイトスポーツがいくつかあった。その代表格がフィアットX1/9だ。

 X1/9は、グループ内のアウトビアンキ・プリムラで初めて実用化し、フィアットでは128で初採用した横置き前輪駆動のパワートレインを、そのままコクピットの後ろに移動させることで生まれた。

 フィアットは、128の前任車であるリヤエンジンの850に、クーペやスパイダーを用意していた。その流れで128にもふたつのボディを設定することになり、クーペは前輪駆動のまま作られたが、スパイダーはミッドシップ化が決まった。これがX1/9だ。

 ではなぜミッドシップかというと、エンジンとトランスミッションを直列配置のまま横置きした前輪駆動方式を発明したフィアットのエンジニア、ダンテ・ジアコーザが、当初から考えていたアイディアだったからだという。

 開発は、グループ内のシンクタンクとして設立されていたSIRAで、G.31のコードネームとともに始まった。GはSIRAの代表を務めていたジアコーザの頭文字で、SIRAで31番目のプロジェクトだった。

 設計が始まったのはプリムラが発表された1964年で、社内でデザインしたボディをカロッツェリアOSIが架装して、4年後にアウトビアンキG.31として公開された。

 すると翌年、850スパイダーのデザインと生産を担当したベルトーネが、アウトビアンキA112 ラナバウトというミッドシップスポーツのコンセプトカーを発表した。フォルムを描いたのは、当時のチーフデザイナーだったマルチェロ・ガンディーニだった。

 結果的にはこのデザイン案が受け入れられ、X1/9は850スパイダーに続き、ベルトーネの造形および生産で、1972年に発表された。車名は開発コードをそのまま使用。ちなみにX1/2はA112になっている。

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