「パンテーラ」は知ってるけど「グアラ」「ビグア」って? デ・トマソのパンテーラ後を支えたクルマとは (2/2ページ)

3つのボディバリエーションをあわせても販売されたのは52台のみ

 バックボーンフレームは、もちろんチュバスコから継承されたもので、ミッドには1993年から1998年まではBMW製の4リッターV型8気筒エンジン(304馬力)が、また1998年から生産最終年の2005年まではフォード製の4.6リッターV型8気筒+スーパーチャージャー(282、もしくは300馬力)が搭載されていた。ミッションはいずれもゲトラグ製の6速MTを装備。

 筆者は幸運なことに、日本とイタリアでこのすべてのボディバリエーションを取材することができたが、やはりもっともデ・トマソらしいフィニッシュを見せていたのは、高性能なスポーツカーであると同時に、ラグジュアリーなGTとしての感覚も強いクーペにほかならなかったことを記憶している。

 ちなみにグアラシリーズのデザインは、これもまたガンディーニデザインの流れを汲むもの。ロードスターはこのクーペを改造するプロセスで生産され、イタリアのカロッツェリア・アウトシュポルト社が、そのオープン化を請け負った。

 実際の生産台数は、バルケッタが10台、ソフトトップをもつロードスターは4台、そしてクーペは38台の合計52台がグアラの全生産量であるとされる。

 グアラを生み出したことで、再びスポーツカーメーカーとして表舞台に復活を遂げたデ・トマソ。しかし、グアラの価格はけして安いものではなく、アレッサンドロ・デ・トマソは、さらに安価な量販モデルの生産化を意識するようになる。

 その結果、1996年に誕生したのが「ビグア」というニューモデルで、これはひとつのボディでクーペ、タルガトップ、フルオープンの3スタイルを楽しめる、しかしながらフロントには強力なフォード製4.6リッタースーパーチャージャーエンジンを搭載し、その高性能ぶりをアピールした。

 シャシーはパンテーラ時代のセミモノコック構造を再び採用し、デ・トマソは上級車種のグアラと、この量産モデルのビグアで21世紀を迎える体制を整えた。

 だが、デ・トマソはこのビグアのプロジェクトを、アメリカのカリフォルニアでMGなどの英国車販売に携わり、その後イタリアの高級スポーツカー販売にも進出していたクベース社に売却。さらに、デ・トマソはそれに前後してマングスタ、ならびにグアラの商標権も同社に売却している。

 パンテーラ以降のデ・トマソを象徴するグアラ。それはまさに彼らが歩んだ激動の時代を見届けた生き証人といっても過言ではない1台なのである。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

愛車
フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
突然思いついて出かける「乗り鉄」
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