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日本独自の「おもてなし文化」タクシーの自動ドア! かつてのセダンタイプでは「開閉練習」をするほど熟練の技が必要だった (1/2ページ)

日本独自の「おもてなし文化」タクシーの自動ドア! かつてのセダンタイプでは「開閉練習」をするほど熟練の技が必要だった

この記事をまとめると

■来日した外国人が必ず驚くこととしてタクシーの「自動ドア」がある

■タクシーの自動ドアの操作にはコツがいるので新人には念入りに開閉研修が行われる

■トラブル防止のためにタクシーの自動ドアが廃止されることになるかもしれない

日本に初めてきた外国人が必ず驚くタクシーの自動ドア

 いまはあまり話題にならなくなったが、過去には日本を訪れた外国人が驚くことのひとつにタクシーの「自動ドア」があった。

 そもそも日本で運転席の隣を「助手席」と呼ぶのは、その昔、タクシーの自動ドアが普及する前は、まさにタクシーの助手席に運転士の助手が座り、お客が乗降するたびにその助手がドアの開閉を行っていたからだ。

 我が国初の純国産乗用車として初代トヨタ(トヨペット)・クラウンがデビューしたのは1955年のこと。クラウンが開発された背景のひとつには、日本のタクシーやハイヤーを、トラックシャシーにセダンボディを架装した「なんちゃってセダン」ではなく、純国産乗用車にしたいというものがあったと聞いている。

 その初代クラウンが「観音開き」とも呼ばれる、後席ドアに逆ヒンジタイプを採用したのも、助手が後席ドアの開閉を素早くできることを考慮したからとも聞いている。

 その後、1964年の東京オリンピックのタイミングで、タクシーに自動ドアが普及し始めたとされている。

 トヨタ・クラウンや日産セドリックなどのセダンタイプでは、タクシーの進行方向左側、つまり助手席後ろ側のドアが自動で開閉可能となっていた。自動といっても一般的には運転席近くから左側後席ドアまでを鉄の棒でつなぎ、運転士が任意操作でドアを開閉する「手動式自動ドア」が多く、セダンタイプの個人タクシーあたりでは「真空式」と呼ばれるスイッチで運転士が操作するものもあった。

 手動式自動ドアの操作レバーは、運転席ドアと運転席の間のスペースに設けられるのが一般的なのだが、車種によってそのスペースに余裕がない場合は、センターコンソールボックスと運転席の間にレバーが設けられることもあった。

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