この記事をまとめると
■トヨタはかつてサイノスというコンパクト2ドアクーペを手掛けていた
■4代目ターセルがベースとなっておりアメリカではセクレタリーカーとして人気だった
■キープコンセプトという形で2代目が登場してオープンモデルも存在した
当時の若者に大人気だったトヨタの2ドアクーペ
今ではすっかり絶滅してしまったコンパクトな2ドアクーペだが、90年代は低価格かつスタイリッシュということで、免許取り立ての若者などを中心に一定の人気を誇っていた。そんなコンパクト2ドアクーペのなかでも、当時かなりの人気を誇ったのが、1991年1月に初代モデルが登場したトヨタ・サイノスだった。
当時を知る人にはキャッチコピーの「友達以上、恋人未満」を覚えている人も多いかもしれないが、スポーツカーというよりは、パーソナルに気軽に使うことができる小粋なクーペというキャラクターで、女性からの人気も高い1台となっていた。
サイノスは前年に登場していた4代目ターセル系がベースとなっており、じつはメイン市場は北米だったのも同車の特徴。当時の北米ではセクレタリーカーとしてコンパクトな2ドアモデルが人気を博しており、北米向けのターセルにはすでに2ドアモデルが存在していたのだが、そちらは野暮ったい2ドアセダンといったスタイルだったため、若者向けにクーペスタイルのサイノス(現地名パセオ)が別途用意されたというワケだったのだ。
そんな出自をもつサイノスだけに、パワートレインもターセル系と共通だったが、クーペということもあってかターセル系に存在していた1.3リッターモデルは用意されず、1.5リッターのみのラインアップで、上級グレードではオプションで4輪ディスクブレーキや電子制御サスペンションのTEMSが設定されていた。
そして1995年9月には2代目へとフルモデルチェンジを果たし、ベースも新たに登場した5代目ターセル系へと一新。ただ、好評だったスタイルはほぼほぼキープコンセプトで、詳しくない人であれば初代と2代目の見わけが付かないのではないかというレベルとなっていた。
メカニズムも引き続きターセル系と共通となっていたが、2代目では先代に設定されなかった1.3リッターモデルも用意され、こちらは100万円を切る手ごろな価格も魅力のひとつだったが、トランスミッションは前時代的な4速MTと3速ATだったのはご愛嬌といったところだろうか。
1996年8月には新たにコンバーチブルモデルが追加となるが、このコンバーチブルは同時期に存在していたセリカのコンバーチブルと同じく、日本で生産したベース車を一旦アメリカの架装業者へ送り、そこでコンバーチブル化をした上で再び日本へ送り返すという非常に手の込んだ行程を経ており、160万円弱というスタート価格もやむなしといったものだった。
ただこの頃になると2ドアクーペの需要がかなり縮小してきており、1999年末をもってサイノスは終売となり、後継車種も登場することはなかったのは時代の移り変わりを象徴するものともいえるだろう。