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セナ・シューマッハ・佐藤琢磨も優勝してF1へ! 東洋のモナコ「マカオGP」とは? 当時日本人最高位を達成したレーシングドライバーが語る!! (1/2ページ)

セナ・シューマッハ・佐藤琢磨も優勝してF1へ! 東洋のモナコ「マカオGP」とは? 当時日本人最高位を達成したレーシングドライバーが語る!!

この記事をまとめると

■中国のマカオ市内の一般道を閉鎖して行われる「マカオGP」

■F1で活躍する前のアイルトン・セナなど数多くの名ドライバーが優勝している

■近年はマシンの肥大化でクラッシュが続出したので2024年からメインイベントは統一マシンに変更

70年の歴史があるマカオGP

「東洋のモナコGP」と呼ばれ、すでに70年の歴史を誇るマカオGP。その名のとおり、現在は中国の管轄となる澳門(マカオ)市内の一般道を閉鎖して行われる伝統的な公道レースイベントだ。

 僕は1989年のマカオGPで、メインイベントである「F3世界一決定戦(正式名称ではないが)」に挑み、当時としては日本人過去最高位の4位に入賞した。

 じつはその3年前の1985年、三菱自動車がマカオGPのメインスポンサーとなり、同年に国内シリーズとして開催されたワンメイクレース「三菱ミラージュカップ」のエキシビションイベントとしてマカオGPの前座レースが組まれ、シリーズ上位入賞者5名のひとりとして初挑戦し、優勝を果たしていた。コースを知る意味で、現代のようなインターネットもシミュレーターもない時代は、事前に下位カテゴリーでも参戦することには大きな意味があった。

 1986年にも同レースで優勝。同じく「ギアレース」として併催されるグループA車両によるツーリングカーカテゴリーにも三菱スタリオン・グループAで参加したので、よりコースや環境に慣れることができていた。

 それでも世界中のF3チャンピオンが「世界一」の座をかけてチャレンジしてくるGPは、ものすごくハイレベルだった。

 これまでのマカオGPウイナーを振り返ってみると、世界統一のF3マシンで競われるようになった初年度の1983年はアイルトン・セナが、1985年はマウリシオ・グージェルミン、1990年はミハエル・シューマッハなど、のちにF1ドライバーとなって活躍した名ドライバーばかりだ。

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