近年はマシンの肥大化でクラッシュが多発するようになった
日本人としては、中谷塾の教え子だった佐藤琢磨が2001年に初の優勝を果たしている。じつは彼にマカオGP参戦を強く推奨したのは僕だ。そこで勝てれば翌年にはF1に乗れる。そのためにまず下位カテゴリーのフォーミュラでコースを覚え、F3は初挑戦で勝つことが重要だと説いた。
アドバイスのとおり、彼は1999年のマカオGPのエリクソン・チャレンジという下位カテゴリーにコースを覚えるために参戦。そこで優勝までしてしまい注目を集めてしまった。翌2000年にはトップコンテンダーとしてマカオGP F3クラスに初挑戦。予選でポールポジションを獲得するが、レグ1のスタート直後の1コーナーでクラッシュしてしまい、レースは未完走だった。じつはそれまでの活躍ですでにF1へのステップアップが決まっていたが、マカオGPを取り逃していたままでは悔いが残ると2001年に再チャレンジし、見事優勝を獲得したのである。
その後しばらく日本人の優勝はなかったが、2008年に国本京佑がマカオGP初挑戦で初優勝、しかも19歳という若さで脚光を浴びたのだ。国本選手の伯父は李 好彦氏(全日本カート・ヤマハワークスドライバー)で、もって生まれた才能豊かなドライバーだったのだろう。ただ、その後は上級カテゴリーで目立った活躍を残していない。
そんなマカオGPも、2020〜2022年はコロナ禍で中国の隔離政策により世界戦のF3カテゴリーは開催されず、2023年に再開された。
F3カテゴリーはこの間にマシンが進化し、ラップタイムが大幅に向上していた。僕が出場していた1989年は2分20秒台だったラップタイムが、佐藤琢磨の時代は2分11秒台に、そして昨年2023年には2分5秒台と目覚ましく進化している。マカオの特徴である長い直線はF1マシン同様のリヤウイングDRS(ドラッグリダクションシステム)を稼働させてスピードを稼ぐ。コーナーの続く山側はウイングを閉じてダウンフォースを得て速く走るようになったことも効果が大きい。
澳門の街並みは大きく変化し、かつて東シナ海に面していたストレートサイドは埋め立てられ高層のビルが立ち並んでいる。しかし、コース自体はまったく変わっていない。スタート直後にアクシデントが多発する名物のリスボア・コーナー(リスボアホテルがあることから名付けられた)、各マシンがガードレールにタイヤウォールを擦りながら駆け上がるサンフランシスコ・ヒル、セオドールレーシングガレージ前の山側コーナーとドナマリアベンド、メルコヘアピン、フィッシャーマンズベンドなど、いまも昔と変わっていない。それだけにタイムの向上はマシンの進化によるものだといえる。
ただ、速く、そしてマシン寸法が大きくなったことで、狭いコースではアクシデントが多発。予選ポールから一気に逃げないと勝てないレースになりつつあった。
同じコースで開催されるギアレースは、ランボルギーニ・ウラカンやポルシェ911、フェラーリのGT3マシンが大挙して競う。彼らの車体ディメンションはさらに巨大で、毎年大きなアクシデントが発生している。1台がクラッシュするとそこへ次々と後続車が突っ込んでしまう。全長がコース幅に対して長いので、スピン停止していると後続車が通り抜けられず、さらに後方からのマシンが減速できないまま突っ込んでしまうのだ。
コース幅を広げられない以上、マシンを規制するしかない。そこで今年のマカオGPのメインイベントは、フォーミュラリージョナルマシンへ統一される。おそらく2分10秒の時代にまでラップタイムは落とされ、またハイレベルなバトルシーンが見られるはずだ。
日本ではフォーミュラリージョナル・ジャパン(FRJ)として開催されているが、まだ出走台数が少なくコンペティティブではない。マカオで世界一決定戦が開催されるとなれば、その栄誉を獲得するべく各国のフォーミュラリージョナル戦も活性化されるだろう。国内からも名門TOM’SやTGMグランプリが参戦を表明している。
いまから11月14〜17日で開催される第71回マカオGPが楽しみだ。