ル・マンで活躍こそできずともクルマ好きの心には姿が刻まれたC8
それでも、このムバダラの経営方針は「ル・マンで勝ったらクルマが売れるでしょ」というものだったのか、スパイカー首脳陣はレースカーの開発を決定。そこで生まれたのがスパイカーC8 GT2-Rだったのです。
選ばれたベースはガラス製ルーフではレースを戦えないという判断なのか、オープンボディのスパイダー。レギュレーションの都合から3.8リッターV8に換装されたものの、ヒューランド製6速ミッションやオランダのKONI製ショックアブソーバーなどでサーキット仕様へと変身。
真偽のほどは不確かですが、これらのトリミングはオランダのレースファクトリー「タキオンレーシング」によるものではないかと思われます。事実、ル・マン・シリーズへの参戦中、あるいは参戦後のメンテナンス、レストアも同ファクトリーが担い、スパイカーのエンジニアだったドナルド・ブラマーも深く関与している模様(ブラマーはC8が製造されなくなったあとで、スパイカーのレストアなどを担うスパイカー・スコードロン社へ転職しています)。
マシンの細部を見ていくと、2005年デビューながら随所にオーソドクスなカスタマイズ、すなわち伝統的手法が散見でき、オールドファンなら目を細めてしまうこと間違いありません。
ロールケージの溶接痕やバルクヘッドのアルミ工作、あるいはインパネの各種スイッチ類の作りこみや無骨なことこの上ないリヤウイングなど、どれをとっても1990年代GTカーかのよう。正直なところ、1世代前のレーシングカーといわれても仕方のないような仕上がり。
ですが、スパイカーはこのマシンでル・マン24時間に2度出場しています。2回ともマシントラブルによるリタイヤですが、レース中はクラストップを争うなど善戦していたことがうかがえます。また、アジアン・ル・マン・シリーズ(AsLMS)では、珠海500kmでクラス5位、ドバイ500kmではクラス2位をゲットするなど、幸運だけでは手に入らないリザルトを残しています。
そんなC8 GT2-Rのイメージを反映した市販モデル「C8 LM85」なるモデルも発売されましたが、こちらはガラスルーフ付きなうえに、19inエアロホイール、アルカンタラトリム、iPodオーディオインターフェースなど、コスメティックに近いカスタムだったため、わずか15台のみの製造・販売という結果に。
かなり個性的で、ちょっと古臭いC8 GT2-Rですが、野心的な挑戦だったことは確か。たとえ、ル・マンで表彰台に昇れなかったとしても、その雄姿はきっとオランダの、いや世界中のクルマ好きの胸に残っているのかもしれません。