R33GT-RにNSXにスープラ! F40にカウンタックまで! 30周年を迎えたスーパーGTの参戦マシンを振り返る (1/2ページ)

この記事をまとめると

■スーパーGTは前身であるJGTCから数えて2024年で30周年を迎える

■最初のシーズンはグループA車両をベースにしたマシンから始まった

■GT500クラスは「世界でもっとも速いGTカーレース」ともいわれている

多種多様なレーシングカーが参戦

 1994年にスタートした全日本GT選手権(JGTC)を受け継ぎ、日本初の国際シリーズとして独自の発展を遂げてきたスーパーGTも2024年、ついに設立から30周年を迎えた。

 なかでも、スーパーGTのGT500クラスは“世界でもっとも速いGTカーレース”と位置付けられ、日産、トヨタ、ホンダといった自動車メーカーが参入。GT500クラスの専用モデルを開発し、主力チームにデリバリーしてきた。

 その30年の歴史を振り返ると、時代に応じて車両規定が変更され、それに合わせて各メーカーはニューマシンを開発。そのなかには時代を代表する名車が誕生し、歴史にも記憶にも残る名勝負を演じてきた。

 そこで今回は、JGTC/スーパーGTの30年の歴史で誕生した各時代を代表するマシンをクローズアップしたい。

 まず、1994年のJGTC初年度はGT1クラスおよびGT2クラスが設定され、トップクラスのGT1クラスにはグループAをベースにした日産スカイラインGT-R(R32)やランボルギーニ・カウンタック、フェラーリF40などが参戦していた。

 1995年に入るとトヨタ・スープラがGT1クラスへ本格参戦を開始したほか、1996年にはマクラーレンF1GTRがGT500クラスへ参戦し、デビッド・ブラハム/ジョン・ニールセンがドライバー部門、チームラーク・マークラーレンGTRがチーム部門を制するなど、マクラーレンが二冠を達成した。

 そして、1997年にはホンダが本格的な参戦を開始し、GT500クラスにNSXを投入。ここからトップクラスで日産、トヨタ、ホンダによる三つ巴のバトルが展開されるようになったのだが、なかでも筆者がもっとも印象に残っている1台が、1997年にトヨタ陣営が投入していたスープラだった。

 1994年にデビューしたスープラは当初、グループCカーの部品を流用していたが、1997年にはJGTC専用の設計が行われるようになり、ロールゲージやサスペンションなどが大幅に刷新されていた。エンジンは3S-Gで、6速シーケンシャルのギアボックスを初採用。この結果、スープラは6戦中5勝をマーク、ミハエル・クルム/ペドロ・デ・ラ・ロサがドライバー部門でタイトルを獲得したほか、トヨタ・カストロール・チームがチーム部門でチャンピオンに輝くなど、スープラが初めてJGTCでタイトルを獲得した。

 また、1999年に日産が投入したR34型のスカイラインGT-Rもじつに印象的なマシンだった。R32型およびR33型のGT-Rでチャンピオンを輩出してきた日産は、市販モデルのモデルチェンジに合わせて、GT車両もR34型にスイッチ。全長/ホイールベースが短くなったボディに直列6気筒のRB26DETT型エンジンを搭載した同モデルは、燃料タンクをトランクルームからキャビン内へ移動することで重量バランスが向上。すべてのレースでポイントを獲得したエリック・コマスがドライバー部門でチャンピオンに輝いた。

 これと同時に2000年のホンダNSXも印象的な1台である。同年は車両規定が変更され、リヤウイングとディフューザーが小型化されたほか、リストリクター径も縮小。ホンダ陣営はこれに合わせて空力デバイスを見直すことにより、前年型モデルを上まわるダウンフォースを獲得したほか、重量バランスやサスペンションの最適化、エキマニのレイアウト変更なども実施した。

 その結果、2000年型のNSXは7戦中4勝をマークするなど抜群のパフォーマンスを披露。道上 龍がドライバー部門でチャンピオンを獲得したほか、無限×童夢プロジェクトがチーム部門を制するなど、初めてホンダ勢がチャンピオンに輝いた。


廣本 泉 HIROMOTO IZUMI

JMS(日本モータースポーツ記者会)会員

愛車
スバル・フォレスター
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登山
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