「ハイソカー」「デートカー」「丘サーファー」「ワゴン」「RV」といろいろありました! 伝説の「自動車ブーム」は今振り返っても熱かった!! (1/2ページ)

この記事をまとめると

■日本の自動車界ではさまざまな流行があった

■1980年代はハイソカーブームやステーションワゴンブームがあった

■1990年代からはミニバンやSUVがブームとなり現在まで続いている

名車が続々と登場!

 これまで、日本の自動車界にはさまざまなブームがあった。そのブーム第一弾は、1955年から1970年代にかけての日本の高度成長とともに訪れた、1960年代後半からの第一次マイカーブームである。自動車メーカー各社が1000ccクラスの大衆車を続々と発売したことでモータリゼーションが発展。クルマを気軽に乗りこなせる時代がやってきたのである。

 それから話はいきなり1980年代へワープ。バブル期に一大ブームとなったのが、いまでも語り継がれるハイソカー&デートカーブームであった。ハイソカーとは、当時の外車に負けない存在感があり、所有欲を満たし、婦女子にモテるクルマを指し、その代表格がトヨタ・ソアラであり、ホンダ・レジェンド、日産レパードなどであり、デートカーの象徴が、助手席を運転席側からも倒せるホンダ・プレリュード、S13日産シルビア、トヨタ・ソアラなどだった。

 その当時、東京・六本木などの夜の遊び場でバブル期ならではのブームとなったのが、BMW3シリーズ(E30/1982~)、Cクラスの前身で当時は小ベンツとも呼ばれたメルセデス・ベンツ190E(W201/1985~)といった、比較的買いやすく、しかしブランド力のあるコンパクトなドイツ製セダンである。クルマ好きの男性にはもちろん、女性にも大人気となり、BMW3シリーズが六本木に増殖したことから、「六本木のカローラ」とまで呼ばれるようになったのだ。筆者もうっかりブームに乗って、1985年型のE30 325iを乗りまわしていたものだ。

 1980年代といえば、1980年に登場した5代目マツダ・ファミリアのハッチバックも、「赤いファミリア」として大ブームを巻き起こした。サーフィンはしないが、サーファーを気取ってモテたい「丘サーファー」御用達車でもあり、ダッシュボードに人工芝生やヤシの木の置き物をあしらうのが流行。輸出仕様の323GTといったエンブレムなどを貼りつけるドレスアップブームの主役でもあったのだ。筆者も興味津々で、またまた赤いファミリアではなく黒いファミリア・スポルトを買って、ドレスアップしまくりだった……(当時は自動車専門誌の駆け出し編集者でドレスアップ担当だったこともある)。

 そして1980年代後半、というかバブル期真っただなかに登場したのが日産セドグロの上級仕様となる、本格3ナンバー車の日産シーマ。スマートかつ存在感あるスタイリング、強力な動力性能、婦女子をうっとりさせる先進装備の数々など、クラウンとはまったく違う国産高級車としてバブルを象徴。シーマ現象なる(ハイソカー)ブームを巻き起こしたのである。

 そうそう、忘れてはいけないのが、いまの国産車では絶滅危惧種ともなったステーションワゴンの一大ブームである。それは1980年代後半からで、その代表格が、当時のスバルを救ったともいわれている初代レガシィツーリングワゴン(1989~)である。それに続いたのがホンダ・アコードワゴン(1991~)。こちらは初代、2代目ともに北米から逆輸入されたUSアコードであり、その日本車離れしたデザイン、走りのよさから、大ヒット作となったのだ。

 筆者もじつは2代目USワゴンを、大型犬のゴールデンレトリーバーのために2台続けて所有したことがある。さらに日産アベニール(1990~)、日産ステージア(1996~)なども加わり、ワゴンブームを盛り上げたのだった。


青山尚暉 AOYAMA NAOKI

2024-2025日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

愛車
フォルクスワーゲン・ゴルフヴァリアント
趣味
スニーカー、バッグ、帽子の蒐集、車内の計測
好きな有名人
Yuming

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