暴走族とのやりとりも印象的!?
そんなAさんは、暴走族とのやりとりが印象的だったとも話す。当時は暴走族も過激で活発だったが、先述の国道を横切る際はたとえ自分側の信号が青であっても、赤信号側の国道を爆走するトラックが途切れるまで待っていたというのだ。いくら喧嘩上等な彼らであっても、猛スピードで走ってくるトラックと事故を起こせばひとたまりもない。そこには根性論などは関係なく、暴走族が止まらざるをえないような異様な光景が実際に起こっていたのである。
「あの頃は、デコトラって呼び名はなかったけれど、映画の前から賑やかなトラックはちらほら見かけたよ。とくに青森や東北ナンバーの水産トラックはランプをたくさん付けたりしていたから、夜でも派手だったしな。サイドミラーで電気をつけた派手なトラックが見えてきたら、東北の魚屋だなってすぐにわかったもんだよ。彼らはなにせ急いでいるから、姿が見えた瞬間に道を譲ったもんだよ。素直に危ないし、邪魔をして絡まれたら厄介だしね。雪でも雨でも関係なく、猛スピードでかっとんでいたからね。映画でもあったけれど、市場での喧嘩は日常茶飯事だったよ。荷物の取り合いも凄かったし、荷降ろしの順番にもうるさかったからね。誰もがほら、1番おいしい仕事をしたいから。とくに鮮魚の追っかけをやっていたドライバーは恐ろしくて、本当に近寄りがたかった。あの映画ではかなり脚色してあったけれど、市場の荒々しい雰囲気だけは現実の方が凄かったかな。俺にはできないって思ったから、鮮魚や野菜なんかの市場仕事は請けなくなったからね(笑)」
なんともリアルなエピソードだ。
やがて平成の時代になると景気は停滞し、立場が逆転。荷主天下になってしまう。荷物よりも運送会社のほうが増えてしまったため、無理難題を押し付けられるようになったのだ。そのため賃金は安くなり、多くの規制や制限が課されるようになった。それも当然の流れなのかもしれないが、トラックドライバーの世界は大きく様変わりをしたのである。
誤解を招いているかもしれないが、無茶が通った昭和の時代のほうがよかったというような考えではない。どう考えても過積載運行や労働時間などに厳しい規制がある現代の方が、真っ当だからだ。ただ、反社会的な生き方がある程度許されていた時代で、かつ景気も良かった時期があったのは確かだし、人間も生き生きとしていたような気がしないでもない。
もちろん法を犯すのはご法度であるし、周囲に迷惑をかけるような行為はよろしくない。やや逆説的かもしれないが、綺麗ごとや正義感だけではなく、もっと人間らしく生きられる世の中になってくれることが、景気回復の近道であるようにも思えてならない。