赤信号で止まると怒られる! 市場でケンカは日常茶飯事! 暴走族すら道を譲る武闘派集団「昭和のデコトラ水産便」がヤバかった (1/2ページ)

この記事をまとめると

■トラックドライバーの労働環境は時代とともに大きく変化した

■昭和の時代のトラックドライバー事情を振り返る

■とくに水産便は血気盛んだったという

誰もが一番に到着することを目指した水産便

 荷物を運ぶトラックに派手な装飾を施すことで知られる日本独自のデコトラ文化。令和となった現在では、派手なデコトラで仕事をすることが難しくなったが、デコトラ界は飾り方のスタイルを変えながら、現在でも大いに盛り上がっている。

 そんなデコトラが世間に知られるようになったのは、1975年から1979年にかけて公開された映画『トラック野郎』の大ヒットによるもの。惜しまれながら他界した菅原文太さんと愛川欽也さんという両雄が繰り広げたハチャメチャな内容で、大衆の心を鷲掴みにしたのである。

 映画には喧嘩のシーンがお決まりのように組み込まれていたが、仕事の内容自体も現実のトラックドライバーとは遠くかけ離れたものだった。むしろリアリティよりもバラエティ色を押し出した内容であったからこそ、大きくヒットしたのだろう。

 とはいえ、威勢のいい、いわゆるトラック野郎たちによる喧嘩が多かったのは事実である。オイルショック後の当時の日本は景気が良かったため、物流業界も大いに盛り上がっていた。物量にトラックの数が追いついていなかったために、トラックドライバーの天下だったのである。個人所有の白ナンバートラックでも仕事ができ、荷物を積めば積むほど、そして走れば走るほど稼ぐことができた当時のトラック野郎たちは、文字通り体を張ってハンドルを握っていたのだ。

 なかでも鮮魚を運ぶ水産便は血気盛んで、誰もが1番に目的地へ到着することを目指していた。もちろん、(鮮度が悪くなる前に届ければ届けるほど)稼げるからである。食事やトイレ休憩すらせず、一心不乱にトラックを走らせていたのだ。

「昔は本当に凄かったよ。関東と関西を走るトラック街道の某国道なんてさ、夜間に赤信号で止まると、なんで止まるんや! って後ろのトラックドライバーに怒られたんだもん。俺なんか当時は駆け出しの運転手だったから、なんで怒られたのかわからなくて、本気でびっくりしたよ」。

 そう話してくれたのは、昭和時代のトラック業界をリアルで駆け抜けた、Aさん。現在は、関東で運送業を営んでいる。


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