この記事をまとめると
■1970年に発表されたランボルギーニ・ウラッコは手頃で高性能でスタイリッシュなモデルとして注目を集めた
■フェラーリのディノやポルシェ911の好敵手となることを期待されたが故障が多くヒットとなることはなかった
■ウラッコはジャルパに任を引き継いだ
V8エンジンを搭載するベビーランボとして登場
商売の秘訣はいろいろとあるようですが、ランボルギーニを見ているとやっぱり情熱だけでなく「なんとしてでも売ってやる」みたいな気概、いってみれば猛烈な商魂が欠かせないとわかります。これは、クルマのビジネスというよりトラクターでの成功が如実に示しているかと。
そんなフェルッチオは、1960年代に差しかかると、ミウラやイスレロといった家内制手工業みたいなクルマではなく、トラクターのようにコストを抑えて大量生産できるクルマに思いを馳せたのでした。むろん「猛牛のたぎる血潮」は欠かすことなく、です。
1970年のトリノサロンでランボルギーニが発表したウラッコは、観客の注目を集めたのはもちろんのことですが、それよりもライバルメーカーたちが戦慄を覚えたそうです。だって、それまでのランボにはミウラというハイエンドはあったものの、他にはハラマ、エスパーダといった「ライバルたりえない」ラインアップだったのに、いきなり手ごろでそこそこ高性能、しかもそれなりにスタイリッシュなモデルを発表したのですから。
居合わせたマセラティ、フェラーリ、そしてポルシェのセールスマネージャーたちは慄然としたはずです。
2.5リッターのV8エンジン、これをリヤよりのミッドシップとし、スチールモノコックのシャシーと+2シートを備えたパッケージは、それこそマセラティ・ギブリやフェラーリのディノ、あるいはポルシェ911に真っ向から挑戦状を叩きつけるもの。
しかも、大量生産ラインのメリットを活かした戦略的な値付けによって、色を失うライバルたち。これを見てフェルッチオがほくそ笑んだこと、いうまでもないでしょう。