この記事をまとめると
■1961年に登場したジャガーEタイプはレースの世界ではフェラーリに太刀打ちできなかった
■ジャガー内部ではフェラーリを打ち負かすことができるコンペティションモデルの登場が急務となっていた
■必勝を期して開発されたプロトタイプ「XJ13」だが活躍の機会を得ることはなかった
レース用マシンの後継モデルとして誕生したEタイプ
1961年のジュネーブショー。そのジャガーのブースでは、現在でもジャガーの名作のひとつとして語られる、あのEタイプがニューモデルとしての役を担っていた。そもそもこのEタイプは、ル・マン24時間レース用マシンであるDタイプの直接の後継車ということもあって、その存在はレース関係者からはすぐに大きな話題となった。
実際にEタイプが国際的なレースへと本格的に参戦するのは翌1962年からのことになるが、ここでEタイプを待っていたのは、同年に登場したフェラーリ250GTOがもつ圧倒的な強さにほかならなかった。
Eタイプをベースとしたコンペティションモデルを作ること。ジャガーはすでにこの時代、ワークス活動こそ休止していたものの、かつてCタイプやDタイプで栄華を極めた旧レース部門のメンバーが、それを決断するのに長い時間を必要としなかったのは自然な成り行きであり、ファクトリーでは1963年の1月までに12台のアルミボディをもつ、いわゆるライトウエイトEタイプが、ハードトップ付きロードスターボディで製作されている(ほかに2台のモノコックのみがスチール製となるセミ・ライトウエイト仕様も存在するが)。
注目の車重は、こちらも3.8リッターの直列6気筒エンジンにアルミ製のブロックを採用したことなどとの相乗効果で、当時の記録によれば920kgを実現。一方の最高出力は300馬力と発表されていたから、スペック上はフェラーリ250GTOのライバルとして十分な戦闘力をもっていたことは間違いない。
しかしながら実際の戦績は、ジャガーの期待に応えるほどではなかった。