人間のパーソナルスペースは可変式
たとえば朝の満員電車は、隣のまったく知らないおっさんと「密接距離」になってしまうため、明らかに不快ではある。だがそこで「不快です! 離れてください!」というわけにもいかないため、人は仕方なく我慢する。そして我慢しているうちに、完全にではないが、ある程度はその状況に慣れていく。
そして駐車場における「隣のクルマを不快に感じるかどうか」というのも、これとほとんど同じである。
満車に近い状態の駐車場であっても、パーソナルスペースとドアパンチの可能性の観点から、できればすぐ隣に停まってほしくないとは思う。だが「まぁ混んでるんだから仕方ないよね」という心理からパーソナルスペースは一時的にギュギュッと縮まり、結果として「自分が停める枠のなか」だけがパーソナルスペースになる。だから、隣にクルマが停まっていても不快には思わない(もちろん、こちら側の枠ギリギリに停めてくるクルマに対しては「ちっ!」と不快に感じるが)。
だが空いている駐車場においては、無意識のうちに自分と愛車のパーソナルスペースは広くなる。いや本当は、そこは「自分のスペース」ではなく「イオンやドン・キホーテなどの土地」なのだが、空いている駐車場においてはおおむね下記ぐらいの範囲を、人は自分のパーソナルスペース=縄張りであると認識してしまうものだ。
●超ガラガラの駐車場:「フロア全体が俺のもの! 他のクルマは別フロアに行きやがれ!」
●ガラガラの駐車場:「まぁ少なくともこのあたりの10枠分ぐらいが俺のスペースだよな」
●比較的空いている駐車場:「空いてるんだから、せめて3枠分ぐらいは向こうに停めてね」
個人差および状況差はあると思うが、おおむねのレベル感はこんな感じだろう。
そしてそんな“パーソナルスペース”に、なぜか「……よっこらしょ」みたいな感じで知らないクルマがいきなり侵入してくるのだから──人はそれを不快に思わないはずがないのだ。当たり前の話である。