やっぱり大事故が多発!
まずは1967年12月に調布IC―八王子IC間が開通し、「中央高速道路(調布八王子区間)」として営業が開始され、翌1968年には八王子IC―相模湖IC間が開通。そして1969年には相模湖IC―河口湖IC間が開通したわけだが、この八王子IC以西の区間が「暫定2車線の対面通行で、なおかつ追い越しも可」というデンジャラスゾーンだったのだ。
中央分離帯がなく、なおかつ追い越し禁止でもないとなれば、当然ながら多くのドライバーは対向車線にはみ出したうえでの追い越しを行ったのだろう。で、その結果として当然ながら、正面衝突事故が多発したらしい。八王子IC―大月IC間の4車線化が完了したのは1973年で、暫定2車線だった大月IC―河口湖IC間ではみ出し禁止措置が採られたのは1976年12月のことだった。
※画像はイメージ
つまり、1968年頃から1973年頃にかけては八王子IC以西の全線でデンジャラスな追い越しが行われていて、大月IC―河口湖IC間ではその後1976年まで、命がけの追い越しが敢行されていたということだ。
たとえば1976年というと、我が家の父は5代目のトヨタ・コロナ(T100系)に乗っていた。そして小学1年生ぐらいだった筆者はそれの後席または助手席に座り、中央道を使って相模湖やら河口湖まで遊びに行っていた。その際に父が対向車線にはみ出しての追い越しを敢行していたかどうかについての記憶はない。また、父に確認しようにももはやあの世の住人であるため確認のしようがない。だが父の性格を考えると「たぶん,やってただろうな」とは思う。
現在のトヨタ製ファミリーカーは、なかなかの諸性能を有する優秀な乗り物であるため、仮に中央分離帯のない暫定2車線の高速道路で追い越しをかけたとしても、まぁ死にはしないのではないかと思う。ちゃんと加速し、ちゃんと減速できるからだ。そしてグワッと急ハンドルを切っても、基本的には(あくまで基本的には)いきなり横転もしないだろう。
だが1976年のT100系コロナは……運転したことがないため正確なところは不明だが、まぁ正直ヤバかったのではないかと思う。もちろん「安全を十分に確認したうえで、普通に対向車線に出る→スムースに追い越し→再びスムースにもとの車線に戻る」という運転法であったなら、1976年頃のT100系コロナでも何ら問題は発生しなかっただろう。
※画像はイメージ
だが、追い越しをかけている最中に何らかの予期せぬことが起こり、「急」が付く動きをしていたなら──筆者と父母および兄は、まとめて天に召されていた可能性もある。
ちなみにその時代の我が家は、シートベルトなんてものはまったくもって締めていなかった。
なお「中央高速道路」という通称名でスタートした中央道だったが、あまりにも正面衝突事故が多発したせいで、その後は“高速道路”の4文字が外れ、現在の「中央自動車道」という通称名に改称されたのだった。