この記事をまとめると
■アルファロメオやフェラーリのエンジニアとして活躍したジョット・ビッザリーニ
■ビッザリーニは1961年に独立すると1965年から1968年にかけて5300GTストラダーレを製作販売
■2018年に復活したビッザリーニ社は2023年にニューモデルの「ビッザリーニ・ジョット」を発表した
世界最高額で取引されるフェラーリ250GTOを作ったエンジニア
ジョット・ビッザリーニ(Giotto Bizzarrini)。昨2023年に96歳で他界した、この優秀な自動車エンジニアの名前は、イタリア車のマニアには広く知られているところだろう。
彼は1950年代にピサ大学に進学するが、そこでの卒業論文のテーマは、フィアット・トポリーノを完全に再設計し、より魅力的な小型車として生まれ変わらせること。エンジンのさらなるチューニングはもちろんのこと、それをシャシーの内部に移設してハンドリングを向上させるなど、その効果はきわめて大きなものだったという。
ピサ大学を卒業したビッザリーニは、わずかな期間ではあるが同所で教鞭をとったのち、アルファロメオのシャシー開発部門に職を得る。だがそれは、エンジンエンジニアを目指していた彼にとっては、必ずしも満足できる配属ではなく、幸運にも実験部門に移動できたことで、テストドライバーとしての技術を身に着けることも可能になった。
そして1957年、ビッザリーニはあのフェラーリに移籍。彼を待っていたのは開発責任者としてのポストだった。フェラーリ時代のビッザリーニが、いかに優秀な仕事を残したのかは、その時代に担当したモデルを振り返れば一目瞭然となる。250GT SWBやその進化型といささか無理な論理でホモロゲーションを取得した250GTOなどはその代表例で、とりわけ250GTOは、ル・マン24時間レースでの無残な敗退を繰り返さぬようにというエンツォ・フェラーリの絶対的な命令を背負って開発された、エアロダイナミクスに富むモデル。
ビッザリーニはフロントの投影面積を縮小し、ボンネットを長めに設計。V型12気筒エンジンを可能なかぎりシャシーの後方に移動させ、かつドライサンプの潤滑方式の採用で重心の低下にも挑戦した。その250GTOがレースシーンでどれだけの活躍を見せたのかは、改めて解説するまでもないだろう。