新生ビッザリーニが船出するも本人の姿はなし
だが、ビッザリーニがフェラーリに在職した期間は決して長いものではなかった。1961年、エンツォ・フェラーリとの確執を理由に、フェラーリから一気に5人もの有名なエンジニアが退職。俗に「フェラーリ・ナイト・オブ・ザ・ロングナイブズ(長いナイフの夜)」と呼ばれるこの事件によって、ビッザリーニはカルロ・キティなどほかのエンジニアとともにATS(アウトモビリ・トゥーリズモ・エ・スポルト)社を設立。さらに1963年にはフリーランスのエンジニアとして、創立直後のランボルギーニのために新型のV型12気筒エンジンを設計している。
ビッザリーニはその後、自らの名を掲げたイソ・アウトヴェイコリ社を創立し、ここでリヴォルタIR300やグリフォなどのニューモデルを開発。1965年から1968年にかけてシンプルに社名を変えたビッザリーニ社からリリースされた5300GTストラダーレなども、近年さらにマニアからの注目度を高めているモデルの一台だ。
そのビッザリーニが復活するというニュースがイタリアから届いたのは2018年のことだった。コンセプトカーの「ビッザリーニ・5300GTリバイバル・コルサ」とともに復活の狼煙をあげたビッザリーニは、2023年にはニューモデルの「ビッザリーニ・ジョット」を発表。
そのスポーティなボディデザインは、ジョルジョット・ジウジアーロと、その息子であるファブリッツィオ・ジウジアーロの手によるもので、かつての5300GTストラダーレで用いられたディテール、たとえばフロントマスクの細いスリットや三角形のBピラー、ホイールアーチと巧みに連なるリヤウインドウ・スクリーンなどは、その象徴的な部分だ。
搭載されるエンジンは、コスワースとの共同開発によるV型12気筒で、その排気量は6626cc。それはビッザリーニの誕生日である1926年6月6日に由来する数字だ。カーボンファイバーを積極的に用いた軽量なボディ構造は、剛性面でも他車に対して大きなアドバンテージをもち、もちろん空力面でもF1マシンから継承したディヘドラル・フロントスプリッターやリヤデフューザー、そして固定式ヘッドライトなどが、強力なダウンフォースを生み出すために機能する。
ビッザリーニ・ジョットは、ただ単に有名なエンジニアの名をリバイバルしただけの作ではないのだ。そしていまでも悔やまれるのは、ジョット・ビッザリーニ自身が、このモデルのプロモーションに加わることができなかったことだろうか。
我々はまた、ひとりの歴史的エンジニアを最新モデルのデビューと引き換えに失ったということになる。