この記事をまとめると
■ダイハツ工業は現存する日本最古の自動車メーカーであり日本のモータリゼーションにおおいに貢献してきた
■ダイハツが庶民に広まったのは1957年の軽三輪トラック「ミゼット」によるところが大きい
■ダイハツは1998年にトヨタの子会社化され2016年に完全子会社となって上場を廃止した
現存する日本最古の自動車メーカー「ダイハツ」
2024年6月、トヨタやマツダをはじめホンダやスズキといった複数の完成車メーカーにおいて型式指定を受けるためのフローにおける認証不正が確認された。現行生産車での不適切事案が発覚した四輪車メーカーはトヨタとマツダで、それぞれ該当モデルは出荷停止となったのはご存じのとおり。7月初旬の段階でマツダの該当モデルについては出荷・生産の再開が発表されているが、トヨタのヤリスクロスやカローラフィールダーといった不正のあったモデルは出荷停止が続いている。
そもそも、各社が認証不正と呼ばれる不適切事案の調査を行ったのは、国土交通省から2024年1月に要請を受けたからであり、そのきっかけとなったのが2023年に発覚したダイハツの大量すぎる認証不正にあったことはいうまでもないだろう。
その際に、「もはやダイハツというブランドは信頼できない」という厳しい声もあったり、「親会社であるトヨタの責任は重大ではないのか」という疑問の声もあがっていたりしたことは記憶に新しい。
一方で、ダイハツ工業は現存する日本最古の自動車メーカーであり、日本のモータリゼーションにおおいに貢献してきたブランドであるから、今回の件をもって価値がないと断罪してしまうのは短絡的過ぎるのでは? という声もあった。同時に「日本最古の自動車メーカーでありながらトヨタの子会社というのはどういうこと?」と疑問を覚えた向きも少なくないだろう。
というわけで、ダイハツ工業という企業、「ダイハツ」というブランドについて、100年を超える歴史を振り返ってみたい。
さて、ダイハツのルーツとなる会社「発動機製造株式会社」が誕生したのは1907年。年号でいうと明治40年のことである。大阪高等工業学校(現在の大阪大学工学部)に属していた学者や研究者が中心となって起業したということで、いまでいう大学発ベンチャーのような成り立ちだった。
当初は小型ディーゼルエンジンなど、社名のとおりに発動機の開発・生産を中心としていた発動機株式会社が自動車の自主生産に取り組み始めたのは1930年。最初の量産モデルとなるオート三輪(三輪トラック)につけられた通称名は「ダイハツ号」というものだった。
これは大阪の発動機メーカーを意味する「大・発」を組み合わせたネーミングだが、ブランド価値をダイレクトに示すもので、広く知られるようになっていく。ただし、ダイハツ号は日本で最初の量産モデルというわけではない。