現行MINI登場よりもずっと以前に新世代ミニが存在していた
ミニクラブマン
現行ミニでもラインアップするクラブマンは、1970年にデビューしたモデルをモチーフとしたもの。同年はミニのワークス活動が停止してしまった残念な年ですが、ミニはマークIIIへとモデルチェンジを受けるのと同時に、新時代のミニとしてフェイスリフトされたのがクラブマンシリーズです。
ノーマルボディに加え、初代と同じく後席部分を延長したエステート、そしてクーパー仕様に代わるモデルとして1275cc、シングルキャブの1275GTをラインアップ。
ですが、この角ばった顔は人気が伸び悩み、およそ10年間の販売だけでディスコンに。併売されていたマークIIIがそのまま生産され続けました。ちなみに、みんな大好きミスター・ビーンが乗っている黄緑のミニはこのマークIIIです。
イノチェンティ・ミニ
クラブマンやマークIIIのエンジン&シャシーにベルトーネがデザインしたボディを架装したのがイノチェンティ・ミニとして知られる90Lと120Lです。
そもそも、イノチェンティはイタリアのローマでスクーターを作っていたメーカーでしたが、1960年代にBMC(BLMC)傘下に下り、イノチェンティのバッジをつけたクルマづくりをすることに。ですが、買収の1年後にはBLMCは経営破綻。イノチェンティはデ・トマソへと売却される羽目に。このデ・トマソ製イノチェンティは日本でもガレーヂ伊太利屋が正規輸入していたため、多くの方はフロントスポイラーやオーバーフェンダーをつけた勇ましい姿をご記憶のはず。
ちなみに、BMC版の120Lは66馬力でしたが、デ・トマソは75馬力までチューンアップしたとのこと。のちに、このモデルはダイハツ製エンジンを搭載するのですが、このあたりからデ・トマソとダイハツは仲良くなっていったのでしょうね。
ミニモーク
ミニのバリエーションのなかで、もっとも奇想天外なスタイルとなったのがモークに違いありません。もともと軍用車両に転用しようと企画されたモデルでしたが、最低地上高の低さや、非力なエンジンのせいもあって軍用は断念。しかしながら、フルオープン、4座のファニーカーとしては「売れるかも!」となって製品化されたという経緯です。
が、イギリス本国では商用登録が認められなかったことで税金が高くなってしまい、思うような売れ行きにならず、1968年でディスコン。
ですが、モークはこの後でカリフォルニアやオーストラリア、はたまたイタリアのカジバなどが生産したので、いまでもわりと多くのタマが路上を走りまわっている模様。むろん、日本でもチェッカーモータースがカジバのモークを輸入していましたので、現存するサンプルも少なくありません。
また、カーデザイナーの由良卓也氏がモークをベースにしたモークスポーツというレース車両を製作し、ワンメイクレースが開催されたことも、モークのファンを増やした一因かもしれません。