ファミリアとの差がほとんどない
しかし、エチュードはファミリアのように成功はしなかった。その理由として挙げられるのは、まずは価格だ。ファミリアより約30万円高の設定で、当時のマツダの上級車、ルーチェのベースグレード価格と同等だったのである。
次に、たしかにサイドやリヤから見るとファミリアとは別物だが、フロント正面から見るとファミリアほぼそのまま。これはいただけない。そして、インパネや天井を布張りしたとしても、インテリア全体の雰囲気はファミリアそのもの。小さな高級車、パーソナルカーとして物足りなさを感じさせるものであったのだ。
走行性能もまた、ファミリアそのものといっていい。1.6リッター直4DOHC16バルブ、110馬力、13.5kg-m、および1988年2月に追加された1.5リッター直4SOHC、76馬力、11.4kg-mのユニットもまた、ファミリアから受け継いだもの。
唯一、ファミリアより進んでいたのは、5速MTとともに用意された4速ATにロックアップ機構が新採用されていたことぐらいだろうか。また、足まわりは乗り心地重視のため、ファミリアのスポルトよりソフトなセッティングながら、カーブでも不安なく走れる操縦性、しなやかなフットワークに煮詰められていたようだ。ただし、4速ATのセッティングはレスポンスやノイズ面で不評だったようである。
そんなマツダ・エチュードだが、販売台数は低迷。発売から約2年後の1989年のファミリアのフルモデルチェンジと同時に生産中止。販売台数総数は2年で1万台に満たなかったのである。やはりファミリアに対してスペシャリティカーを気取った高めの価格設定、ファミリアと差別化の小ささがその理由と推測できる。
もっとも、人気が落ち着いた6代目ではなく「赤いファミリア」として若者を中心に大流行した、20代の筆者もブラックのスポルトを手に入れた5代目ファミリアの時代に、そのパーソナルな派生車としてエチュードが登場していれば、話は変わっていたかもしれない……。
ちなみに、エチュードは1989年登場のスペシャルティカー、4ドアクーペでリトラクタブルヘッドライトを用いたファミリア・アスティナへとバトンタッチすることになる。エチュード以降も、近年、マツダ3ハッチバックに象徴されるエクステリアデザインにこだわるマツダは、当時からこのクラスのデザインにこだわるコンパクトなスペシャルティカーのラインアップを決して諦めてはいなかったということだろう。